[本の森 恋愛・青春]『彼女は頭が悪いから』姫野カオルコ/『ふたりぐらし』桜木紫乃

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彼女は頭が悪いから

『彼女は頭が悪いから』

著者
姫野, カオルコ, 1958-
出版社
文藝春秋
ISBN
9784163908724
価格
1,925円(税込)

書籍情報:openBD

ふたりぐらし

『ふたりぐらし』

著者
桜木紫乃 [著]
出版社
新潮社
ISBN
9784103277248
発売日
2018/07/31
価格
1,595円(税込)

書籍情報:openBD

[本の森 恋愛・青春]『彼女は頭が悪いから』姫野カオルコ/『ふたりぐらし』桜木紫乃

[レビュアー] 高頭佐和子(書店員・丸善丸の内本店勤務)

 こんなに陰鬱な読後感の青春小説を読んだのは初めてだ。姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』(文藝春秋)は、東大生5人が起こした強制わいせつ事件に着想を得て書かれている。被害者となる美咲は、郊外の庶民的な家庭に育ち女子大に進学した。普通の恋愛に憧れる素朴な女子である。加害者の一人となるつばさは、国家公務員の息子として恵まれた環境で育ち、東京大学に進学した。女子大生との交流を目的としたサークルに所属し、青春を楽しむ日々を過している。

 事件以前の二人の生き方や人生観を、著者はしつこいほど丁寧に描く。美咲の平凡な日常が壊れないようにと、思わず願ってしまうほどに。だけど事件は起きてしまう。一度は愛おしく思ったはずの美咲を、つばさは他の学生たちと共におもちゃのように弄び、逮捕される。

 人の尊厳を傷つける行為を、「ふざけ過ぎた」という言葉で片付けようとする加害者の学生たちとその親たち。被害者である美咲を、「東大生の将来をダメにした」と叩くインターネット上の見知らぬ人々。彼らは決して美咲の痛みを理解しようとしない。過去の苦い経験を語り、美咲を励ます教授をはじめとして、自分の言葉を持つ人々も僅かではあるが登場する。彼らの存在がこの小説の救いである。

 こういった事件が報道されると嫌悪感を覚えると同時に、彼らの行動が不可解でならなかった。なぜそんなことをやっても許されると思ってしまうのか。その過剰な自信は、私たちが生きている社会の中で形成されたものであることを、作者はフィクションにしかできないやり方で明らかにしていく。つばさの傲慢さも美咲の痛みも、遠いところにあるものではない。私自身も含めた多くの人の中に存在するのだと思う。そのことに気づかせてくれたこの小説に、深く感謝する。

 桜木紫乃『ふたりぐらし』(新潮社)は、北海道を舞台にある夫婦の日常を描いた連作短編集である。看護師の紗弓と、映写技師の信好。40代になっても夢を捨てられない信好には、安定した収入がなく、ゆとりのない生活には先の見えない不安がつきまとう。二人とも自分の母親には複雑な思いを抱いているが、その心を打ち明け合うことはない。

 一般的な尺度でみれば、順風満帆とは言い難い結婚生活だ。でも、言いたいことを全て言い合わない二人の間には、静かで穏やかな愛情が確かにある。娘夫婦を温かく見守る父の秘密、手紙の代筆を頼んできた入院患者の女性の恋、偏屈な信好の母親が隠していた息子への気遣い……。周辺の人々の生き方が興味深い。それぞれの語れない思いが、小さなエピソードからにじみ出てくる。桜木氏にしか書けない人生の輝きがそこにはあり、読み終えた時、幸福な気持ちに包まれた。

新潮社 小説新潮
2018年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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