隠者と呼ばれた男の半生

レビュー

5
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ある世捨て人の物語

『ある世捨て人の物語』

著者
マイケル・フィンケル [著]/宇丹 貴代実 [訳]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/外国文学、その他
ISBN
9784309207452
発売日
2018/07/12
価格
1,998円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

隠者と呼ばれた男の半生

[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

 完全な孤独に人は耐えられず、ときにそれは刑罰の手段にもなる。一方で、世間のしがらみから逃れてひとりになりたい気持ちは誰にもある。ひとりの人間に相反する気持ちが共存するから厄介だ。

 本書は、二十歳で失踪、カナダ国境に近いアメリカ・メイン州の湖畔の森で二十七年間もひとりきりで暮らし、近隣住民から「隠者」と呼ばれた男の半生をたどり、見たことのない世界へ連れていってくれる。

 クリストファー・ナイトは一九六五年生まれ。高校を卒業後、警報器の設置の仕事をしていたが、ある日突然、それまでの生活を捨て、森へと入っていった。何か罪を犯したわけでも、逃げたい理由があったわけでもない。人となじめずひとりでいるのが好きだったが、なぜそうしたかは彼にとっても「謎」だ。

 現代の「隠者」は窃盗を繰り返し飢えをしのいだ。野営地に選んだのは別荘地から遠くない場所で、住民の生活リズムを観察、無人になった別荘や障害者のためのキャンプに侵入し、食料や生活必需品を盗んだ。侵入回数は千回にものぼる。

 メイン州の冬は厳しく、一年の半分近くが雪に覆われる。失踪するまでキャンプの経験がなかったナイトだが、煙で見つかるのを恐れて火は起こさず、カセットコンロで雪を溶かして飲み水を作った。日光が反射しないよう金属製の缶には迷彩のスプレーを施すなど生活の知恵を駆使して野営地を守り、寒さと飢えにさいなまれながら長い冬を乗り切った。

 ナイトを「隠者」と名づけたのは盗難被害に遭った別荘の住人たちだ。姿を見せず、人に危害を加えたことのない泥棒はいつしか伝説的存在になるが、二〇一三年、逮捕に執念を燃やす地元の猟区管理官と警察官に捕らえられる。

 著者のジャーナリスト、マイケル・フィンケルは、記事の取材方法が問題になり、ニューヨーク・タイムズを解雇された過去がある。だが拘置所にいるナイトの琴線に触れたのは、フィンケルの個人的な傷よりも、手紙の内容(夏至とキャンプで見たスーパームーン)と彼のことばの選び方だったらしい。ナイトは別荘が提供する読み物の種類に不満を持ち、ヘミングウェイを「生ぬるい」と評する読書家で、二人は「キャンプと読書」という嗜好を共有していた。

 ナイトは取材相手としてかなり手ごわい。フィンケルの訪問はあからさまに迷惑そうで心のうちを見せないが、実家に戻り、今後の不安を語って泣く場面ではきわめて率直だ。その瞬間をフィンケルは見逃さない。ナイトは追放された楽園である森に戻りたいのだ。そこで彼が獲得していた完全な静寂とものを考える自由は、いくら代償を支払ってもあまりある、魅力的なものとして映る。

新潮社 新潮45
2018年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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