ジェントルな幽霊たちが奮闘 ユーモラスにして感動的、出色の一作

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

ジェントルな幽霊たちが奮闘 ユーモラスにして感動的、出色の一作

[レビュアー] 豊崎由美(書評家・ライター)

 四十六歳で十八歳の妻をめとるも、無理矢理夜の営みを求めたりせず、心の底からの愛情と信頼を勝ち得た末、やっと初夜を迎えられることになったのに、その日に急死。素っ裸で巨大なペニスを勃起させた状態にあるハンス・ヴォルマン。ゲイの恋人にふられたショックから手首を切って自殺。早まった行為のせいで失った、この美しい世界のすべてを味わい尽くしたいという強い願望ゆえに、目や鼻や手が増殖してしまったロジャー・ベヴィンズ三世。

 二人がいるのは、この世に執着を抱く死者たちがとどまっている、あの世との中間地帯で、自らの死を認めない彼らは、遺体を〈病体〉、棺桶を〈病箱〉、納骨所を〈病院地〉、墓地を〈病庭〉と呼んでいる。そこに、リンカーン大統領の幼い息子ウィリーの遺体が運ばれてくる。ところがウィリーは一向に「成仏」しようとしない。大人の死者は此岸(しがん)と彼岸(ひがん)の間に居られても、子供が居続ければ怖ろしい末路が待っていることを知っているヴォルマンとベヴィンズは、ウィリーを説得するのだが――。

 ジョージ・ソーンダーズの長篇小説『リンカーンとさまよえる霊魂たち』は、そんなシチュエーションから物語をスタートさせる。

 深夜、〈病院地〉を訪れて愛息の遺体を抱きかかえるリンカーン。生者が葬儀の後に死者に会いにくるという、この世にとどまり続ける霊魂の誰もが激しく希求しながらも叶えられていない、その奇跡的な出来事を目のあたりにしてざわつく大勢の死者たち。ヴォルマンとベヴィンズもまた衝撃を受け、父子の関係に介入を試みる。生者の体に入りこみ、その心を読み、また影響を与えるという能力を使って、なんとかウィリーが無事にここから旅立てるよう獅子奮迅の活躍を見せることになるのだ。

 ギリシャ悲劇のコロスのように響き渡る、死者たちのポリフォニックな声。過去の文献からの毀誉褒貶の抜粋を挿入しながら、人間リンカーンに迫っていく構成。そうした文献や黒人の死者の声を通して多角的に提示される、南北戦争という内戦がアメリカにもたらした功罪。

 テクニカルな語りが特徴であるにもかかわらず、難解に傾くことなく、感情をゆさぶってくるのもこの小説の美点だ。死者たちの物語なのに、声を出して笑ってしまうような箇所が多く、ラスト間近では、ウィリーのために奔走する霊魂たちの奮闘に胸が熱くなること必定。ジェントル・ゴーストストーリーとして、異色にして出色の一作だ。

新潮社 週刊新潮
2018年8月30日秋初月増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク