くっついて、わからなくなる「絶望キャラメル」――島田雅彦『絶望キャラメル』

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絶望キャラメル

『絶望キャラメル』

著者
島田 雅彦 [著]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784309026985
発売日
2018/06/13
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

くっついて、わからなくなる「絶望キャラメル」

[レビュアー] 瀬田なつき(映画監督)

「絶望」、は小説にはよく出てくるかもしれない。「キャラメル」はそこまで小説では見かけないけれど出てこないことはない。でも「絶望」と「キャラメル」の組み合わせは、たぶん初めて。くっつけて「絶望キャラメル」にすると、絶望も、キャラメルも、ちょっと、おかしくなって、よくわからなくなる。
 そんな組み合わせが、無数にちりばめられているのがこの小説『絶望キャラメル』である。
 自分が、オリジナルで映画のプロットや脚本を書くとき、一番悩むのは最初の一歩。最初の「設定」というか。優柔不断だからだと思うのだけれど、一歩への決断に悩んでしまう。誰をどんな主人公にするか、どこを舞台にするか、時代をいつにするか、ジャンルはどうだろう、そう、なんでもありなのだ。これまで書かれてきた小説や映画、そして無数に溢れるストーリー、身の回りにある溢れかえる題材から、自分がこれを書くしかない!という設定や、言葉を選び、描き始めるのだから、やりたいことを書けばいいのだが、とはいえ、いざ考え始めると、こうすると、あれと似ちゃうな、とか、どこかで見たような気がするとか、やっぱり、せっかくなら、誰も手をつけていないような、新しい何かを入れたいな、などと高望みして、書こうとしては戻り、結局、なかなかスタートできない。映画の場合、脚本を書いて、それを設計図に、出演者や撮影場所を見つけて、役者やスタッフと撮影して、そして編集をして、完成して、宣伝して、公開して……と、出来上がるまで道のりが長く、関わる人数が多いから、その、最初の一歩を踏み出すと、気軽には後戻りできないので、ちょっとタメラってしまうのかもしれない。
 と、書きつつも結局書き始めると、書いたり消したり書き直したりするので、そこまで悩むこともないのだけれど、ある程度、設定ができるまでは、もっといいアイディアがあるのではないかと、ふわふわもやもやした気持ちで書いて悶々とすることが多い。
「絶望キャラメル」を書くにあたって、どこからスタートしたのか、それはわからない。
 しかし、この小説は、スタートがたくさんあって、そういうタメライを、恐れていない、ような気がする。気になったキーワードや、面白いと思ったものを、どんどん詰め込んで、そこからの化学変化を、観察していくような。夢を追いかける若者の青春の話かと思えば、政治の腐敗だったり、東京のアイドル産業だったり、かけがえのない友情、甘酸っぱい遠距離恋愛と、見慣れた、どこかで見たあるイメージを持った言葉やストーリー設定が、1冊の本そしてその中の36の章に、パラレルワールドのような世界を作り出しているのだ。
 ストーリーはシンプルで「経済破綻しかけた故郷に戻ったひとりの大人が、町でくすぶっている才能を持った高校生を探して才能を磨き、荒廃した町を守る」ということ。
 4人の高校生を集めるひとりの大人は、新米住職の江川放念。才能を持った高校生に、石投げで驚異の才能を持つ黒木鷹、微生物を愛する白土冴子、驚くべき美少女の青山藍、そして藍に片思いする、夢が見つからない緑川夢二。
 住職、石投げ、微生物、美少女……、なかなかない組み合わせだが、若者がそれぞれの特殊な才能を発揮して町を救おうとする設定は、規模は小さいけれど「アベンジャーズ」みたいでワクワク高揚するし、夢を見つけた若者は、夢に向かってこれまでにない努力をする。常識的に考えるとかなりハイレベルな夢ではあるが、気が弱いピッチャーが導く弱小野球部の最後の甲子園への挑戦、アメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)奨学生を目指す貧乏少女、田舎の美少女が目指す芸能界アイドルのセンター、そこに淡い片思い、そして逃避行と、直球な青春エンターテインメントが繰り広げられる。悩んだり、胸をときめかせたり、怒ったり、笑ったり、泣いたり、ここには戸惑いなどない。この設定だけだと、今までに見た青春映画なんかが、頭をよぎったりするかもしれない。
 しかし、この青春には、さらに、いろいろな設定が加えられる。
 町おこしのために立ち上がる原石発掘プロジェクト、さらに娯楽施設事業の失敗、政治汚職、麻薬で捕まった元プロ野球選手の黒原、ソーラーパネル会社の暗躍、賄賂、49人のアイドルグループ「乙女のピンチ」、産業廃棄物処理場化の危機、枕営業やセンター落ちでAVへ、般若心経ラップ、「大人」の世界の胡散臭さがほのかに漂う、どこかワイドショーや新聞に載っていそうな、エピソードや、キーワードたちが、ジューサーに放り込まれる野菜のように、青春エンターテインメントの中に、軽やかに堂々と飛び込み、暴走する。
 ベクトルが違う設定や世界が、音楽のDJのごとく、軽やかな語り口で、小さいことや大きいこと、ストーリーに編みこまれミックスされて、リミックスされる。「絶望」と「キャラメル」が、くっつけるとちょっと、よくわからなくなるみたいに、言葉の持つたくさんのイメージの組み合わせ、設定やエピソードの連鎖が、交錯しながら、展開を歪ませて、速度を上げて、見たことあるけどない、青春物語を飲み込んで広がっていく。
「夢」を見つける前は、ちょっとよくわからない「未来」や「将来」が「現在」にくっつく過程、つまり「大人」になる過程がそこにある。青春に編み込まれた、「夢」を摑もうとする4人の若者たちは、まっすぐに「夢」を摑もうともがき、「子供」から「大人」に変わっていく。それは、ちょっと胡散臭い「大人」の世界に、若者たちが含まれていくことでもあるけれど、「夢」や「未来」という言葉に絶望感が満ちていた町で、一歩を選んで始めることをタメラっていた若者たちが、いろいろな世界の中を、「夢」を追いかけ冒険した後の姿は、頼もしくみえる。
 小説には、実は、画期的な名前「絶望キャラメル」とは何か、また、どうして「絶望キャラメル」なのかが、きちんと、かなり丁寧に書かれている。さらに、「絶望キャラメル」から作られる、開かれていくであろう未来にも胸が熱くなる。
 そうだ、タメラってないで一歩踏み出して、「絶望キャラメル」みたいにいろんなことをくっつけて脚本も書いてみたら、ガンガン書けそうな気がしてきた。が、やっぱり悩んでしまうんだろうな、とも。とりあえず、ワードから新規作成。
 そして、ふと、「絶望キャラメル」の味を、想像する。
 まだ、ちょっとわからない。

河出書房新社 文藝
2018年秋号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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