東出昌大×柴崎友香・特別対談 「愛する」が始まるとき──映画「寝ても覚めても」公開記念

対談・鼎談

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寝ても覚めても

『寝ても覚めても』

著者
柴崎 友香 [著]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784309416182
発売日
2018/06/06
価格
799円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

「愛する」が始まるとき──『寝ても覚めても』特別対談

[文] 河出書房新社

作家・柴崎友香と俳優・東出昌大
作家・柴崎友香と俳優・東出昌大

青春群像を鮮やかに描いた大作「ハッピーアワー」でロカルノ、ナント、シンガポールはじめ数々の国際映画祭で主要賞を受賞し、その名を世界に轟かせた気鋭・濱口竜介監督。彼が次に撮ることを熱望したのは柴崎友香の代表作『寝ても覚めても』だった――濱口監督のメジャーデビュー作でもあり、また世界三大映画祭への出品は初となった本作は、この五月に開催された第七十一回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に選出されるという異例の快挙を果たし、結果、ル・モンドやリベラシオンをはじめ絶賛の嵐を巻き起こす。一人二役を演じたことで話題となった主演の東出昌大と、原作者の柴崎友香の、映画への思いとは。

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[柴崎友香『寝ても覚めても』原作あらすじ]
謎の男・麦(ばく)に出会いたちまち恋に落ちた朝子。だが彼はほどなく姿を消す。三年後、東京に引っ越した朝子は、麦に生き写しの男・亮平と出会う……そっくりだから好きになったのか? 好きになったから、そっくりに見えるのか? 運命の恋を描き、大きな話題となった野間文芸新人賞受賞作。

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東出 最初にこの作品の話をいただいたのは四年くらい前でした。「映画を考える塊」そのものみたいな濱口(竜介)監督が惚れ込んでいる原作があると聞いて、役を受けることが決まって。それで原作を読んでみたのですが、そのときまず思ったのが「ああ、これは難しそうだな」ということ。一人二役っていうのが。

柴崎 そうですよね。

東出 最初、僕自身は亮平の気持ちがわかるような気がしていて、だから亮平を演じるよりも麦が難しいんじゃないかなと思っていたんです。けれど脚本を読んでからよくよく考えてみると、僕は麦に近いんだっていう発見をしました。

柴崎 へえ! それはどういう点ですか?

東出 僕はよく、何を考えてるかわからないって皆に言われるんです(笑)。監督も撮影前に演技のワークショップをやっていくなかで「麦の要素をいっぱい持ってますね」とおっしゃっていましたが。

柴崎 そうだったんですね。私は今回撮影現場を何回か直接見に行ったのですが、そのときに東出さんに「小説にははっきり書いてないけど、麦には秘密の設定があって本当は宇宙人なんですよね」っていうお話をしましたね。

東出 しましたね。驚愕の事実でした。

柴崎 私の中では、麦は人間の感情を学習中という設定だったんです。

東出 その宇宙人説を聞いて、監督と二人で「ああ、納得!」って、すごく腑に落ちたし、それまで自分が考えていたことも間違っていなかったんだなと思いました。

柴崎 私は元々、ドラマや映画で東出さんを拝見していたとき、ちょっと周りに馴染んでいないというか、〇・五次元くらいずれてるみたいな感じがとても面白いなと思っていたんです。それが役者としての存在感の基底にあって、どうしても画面の中でつい気になって見てしまうところがあって。完全に異質なものというんじゃないけど、馴染んでいるようで馴染んでいなくて、という不思議な感じが、今回の麦と亮平、両方を演じ分けるというところでもすごく繋がっているなと思ったんですよね。

東出 原作を読んだときに麦がすごく魅力的に映ったのは悪意が見えないところなんです。行動自体は本当にちゃらんぽらんそうな男なんだけど、この魅力というのは何なんだろう、それは芝居をする上でどう表現すればいいんだろうと思ったんですけど、いざ麦となって、カメラの前に立ってみると麦って何も考えてないんだな、とわかりました。

柴崎 そうそう、そうなんですよ。

東出 何だこいつ! っていうのは思いました(笑)。

柴崎 裏の感情っていうのは麦はまったくないんですよね。思ったことしか言えない。私は麦を「ただそこにいる」というだけで存在感のある人として書きたかったので、それが映画の中でも、ああ、麦はたしかにこんな感じだな、と思って。
 最初に構想を聞いたとき、小説では二人が本当にそっくりの顔かどうかというのは曖昧な部分があるんですけど、映像だとどうしても顔がはっきり画面に映るので、どういうふうにするのかなって楽しみにしてたんです。完成した映画を見たら、元々の役柄をすごく変えているっていうわけでもなく、東出さんが二人をまったく変えて演じ分けているっていうわけでもなくて、麦と亮平という別の人物がちゃんと画面の中に自然に存在していました。特に麦の後ろ姿が亮平のそれとは全然違う。同じ東出さんという役者さんが演じているのに、歩き方とか後ろ姿がいちばん違うな、とは強く感じました。

東出 今回は濱口監督の演技論・演技法のもと、役者の皆でかなりの回数、ワークショップを重ねて、挑んだ現場だったんです。「濱口メソッド」と僕は呼んでるんですけど。そのとき二役の演じ分けの方法を自分なりに具体的に─仕草だったり格好だったり─考えてきたものを提案したんです。いろいろ自分の中の引き出しから使えそうな道具を出して、それを引っ搔き回して二人の差異を作ろうかなと思っていたら、監督が「麦のセリフ、亮平のセリフ、それぞれを東出という楽器から、普通に音として出すだけでそれぞれ違って見えますから、演じ分けは考えないでください」とおっしゃったんです。だから僕は本番は何も考えていませんでした。それは濱口さんのメソッドに則ろうと思ってたのと、そもそも監督の演出方法って本番ぎりぎりまでずっと棒読みでセリフを繰り返して、ニュアンスを消して、本番の現場で感情を表出させようとするので、考えてどう、というものではまったくなかったんです。
 亮平はやっぱり朝子に嫌われたくないとか、人間として当たり前の気の遣い方、遠慮っていうのがあるのに、麦ってまったく無遠慮で、考えてないというキャラ。彼らのセリフを延々と繰り返して読んで、いざ本番になったら、それぞれ演じ分けは考えずとも不思議と違うものになっていた。それは濱口さんの魔法だなと思いました。

柴崎 あの方法はとても興味深かったです。カメラが回る直前までセリフを繰り返し、しかも平坦な棒読みで言い続けて、本番になると感情を入れて。

東出 和やかなんですけどずっと緊張感がある現場でした。棒読みで読む、つまりニュアンスを抜いて段取りテストというのをやって、本番のその一回だけ気持ちを入れる。だから偶然性もすごい高いものになるんです。それがいい収穫のときもあるんですけれども、監督が思い描いていたものと違ったというときは、監督が「もう一回、ニュアンスを抜いてやろう」と撮影を止めるとか、「ちょっと深呼吸しましょう。いやあ、暑いですね」とか全然違う話をわざとしていました。役者も今の芝居のことを忘れて「そうですね、暑いですね」とか、「今日、何食べましたか」とか監督が訊いてくるから関係ない話をしていて、「はい、じゃあ本番いきましょう」って。

柴崎 撮影現場は本当に面白く見ていました。演じる役者さん自体にも興味があるんです。役者さんは何回も同じ場面を演じますよね。「はい、ここで終わります」「はい、ここからもう一回やります」って、あの切り替わりをどういうふうにやっているのか、それは役者さんにとってはどういうことなのか、以前から気になっていて。今回いちばん感じていたのは、シナリオを読んでいても原作を読んでいても、映画の完成形がどういうふうになっているかというのは全然予測がつかない、わからないなと思ったことですね。

東出 完成したものというのはまた別だと?

柴崎 ええ、セリフが脚本に文字で書いてあっても、どういうふうに言うか、場面をどう繋いであるかで全然変わりますよね。役者さんはどれくらい完成形を想像して演じているんでしょう?

東出 自分の経験で、こういうお芝居でこういうシーンの連続だったら、こういう画がたぶんメインで使われるものなんだろうっていう予想は常にあるんです。それが今回実際に出来上がった作品を観て、全然違った。濱口さんならではのバランスみたいなものがあって、そしてそれはこれまで自分がまったく見たことがない、最先端のものだなと思いました。
 亮平が非常階段で朝子に思いを告げるところがあるんですけど、あれってわかりやすくて、今までの僕の経験だと、カメラは告白をしてる男の顔の寄りだと思うんです。でも濱口さんは、その告白を聞いてじっと目を瞑っている朝子=女性側の顔ばっかり追ってるんです。喋ってる声じゃなくて聞いてる顔がこの物語においての核だというのは、「うわ、予想してなかったけどこれが正解だな」って目から鱗でしたね。そういうところがすごく多かった。いつも予想を裏切られるんです。
 僕の予想どおりに進むんだったら、たぶん監督が伝えたいものを僕が咀嚼するにも時間がかからないんですけど、濱口さんは見えてないところで伝えようとしてくる部分がすごく多い。だから今、僕はこの作品を咀嚼するのにも解釈するのにもすごく時間がかかっています。

柴崎 演じてる人も完成図が見えてるわけじゃないんですね。

東出 今回は役者どうしで話していて皆、出来上がりが意外だったという声が多かったんです。その中でも僕はまず「僕の声って普段あんな声だっけ?」と思いました。濱口監督はクランクイン前からずっと声にこだわっていらしたんですけど、今回の映画の中の声は、僕自身、初めて聞く僕の声だったんです。麦の声も亮平の声も……ということを濱口監督に言ったら「それで良かったです。そう言ってもらえて嬉しいです」と言ってくれて。だから濱口監督が考える、役者の「芝居しない声」っていうのは、なかなか普段芝居をする役者は出せない声なんだなって思いました。

柴崎 やっぱり麦と亮平の声でも同じはずなのに違って響くし、それはすごく感じました。セリフを話す声のトーンとかすごくこだわって演出されていたように思います。
 もともと麦と亮平が顔が一緒だけど中身が違う、ということも、俳優さん自体がそうだっていうことと繋がっています。顔は一緒だけど違う人として画面の中にいて、チャンネルを替えると違う役で映っていることもあって。でもそれを観ている人は「東出昌大だ」と思いつつ、一方「その役の人物」とも思いながら見ている。その状況ってすごく不思議だなと思って、見る人の受け取り方というか、存在が二重になっているところに興味を持っていたんですよね。そういったことを考えながら書いていた小説が、さらに映画になって、面白い展開です。

東出 映画化するにあたって、小説のこの部分だけは変えないでほしい、みたいなオーダーはしたんですか?

柴崎 もし小説通りに大阪弁にするなら、できるだけふだん話されているような大阪弁に近くしてほしい、っていう希望はありましたね。その部分で観る人が気が散ってしまうともったいないので。私は映画が好きで、自分の小説がどんな映画になるのか観てみたい気持ちが強いので、特に何もお願いはありませんでした。濱口さんが映画化したいというのを聞いたときにも、もともと濱口さんの映画を観ていたから、濱口さんなら面白くなるだろうと。濱口さんの映画って人間関係の描き方が特徴的ですよね。人と人の間に、近づくほどスリリングな距離感があって、常に緊張感があって見入ってしまう。そういう魅力を感じていたので、『寝ても覚めても』を映画化したらどういうものになるだろうと、とても楽しみだったんです。

スタイリング=檜垣健太郎(little friends)/ヘアメイク=山下サユリ(3rd)/撮影=宇壽山貴久子

河出書房新社 文藝
2018年秋号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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