『洗濯屋三十次郎』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
服の汚れも心の染みも、丁寧にお取りします
[レビュアー] 野中ともそ(作家)
東京の高円寺からマンハッタンに移り住んで二十六年になる。毎年帰国はするもののすっかり浦島太郎状態だ。「どこにいたって出不精だから高円寺もNYも同じさ」と強がってみるものの、失ったもの、手に入れられないものに気づくたび胸にすぅと懐かしい風が吹く。だが日本にいたとしても同じなのだろう。その一つが長く住んだ街の商店街だ。
小学校にあがる前から就職するまで相模原(さがみはら)の小さな街で育った。主婦達の勢いに押され、なかなかおつかいの目的が果たせぬ精肉店。銭湯でのフルーツ牛乳一気飲み。パン屋で買ったアイスにあたり、何日も寝込んだこと。初めての制服を託したクリーニング店。近所の商店街に多くの思い出が宿っている。実家は既にそこには残っていないが、帰国時に郷愁と共に訪ねたら、商店街のアーチだけが残る通りはシャッター街どころか、商店の名残さえ残さぬ住宅街と化していた。
あの街に住んでいた頃、子どもだったせいもあって色々な染みをつけた。おしろい花の色水が飛んだちょうちん袖のブラウス。制服にこぼしたお弁当の煮汁。初めてのお習字で緊張してたらした墨汁。母が洗ってくれたのか、クリーニング店に駆け込んだのかさえ覚えていない、遠い日々だ。
かつてはあった、いとおしいものたち。なくしたものを想う時、心にぽつりぽつりと染みが落ちていく気がする。その一つ一つに明日への希望に繋がる物語がそっと滲んでいる。
邪魔しない染みは染みじゃない――この物語の主人公、クリーニング店のちょっと間の抜けた若店長、三十次郎の言葉である。さびれゆく商店街の片隅で老職人に導かれながら、衣類だけでなく心についた染みや、よじれてしまった想いの皺と、丁寧に向き合っていく人々。彼らのささいな日常を思い描いたら、いつしか染みをめぐる物語が生まれていた。
この本を読めば、どんな染みでも抜けちゃうよ! というのは誇大広告ですが、手に取っていただけたら幸せです。