座談会 地方自治研究のあり方とは――『地方自治論――2つの自律性のはざまで』刊行に寄せて

対談・鼎談

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地方自治論

『地方自治論』

著者
北村 亘 [著]/青木 栄一 [著]/平野 淳一 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/政治-含む国防軍事
ISBN
9784641150485
発売日
2017/12/15
価格
2,090円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

座談会 地方自治研究のあり方とは――『地方自治論――2つの自律性のはざまで』刊行に寄せて

統治者目線の地方自治論――圧力団体の取り扱い

北村 いま、青木先生からご指摘があった「統治者目線」あるいは「為政者目線」の地方自治論というご感想について話を進めていきたいと思います。実は、金井先生から本書に対する最初のご感想が「統治者目線の地方自治論」というものでした。偶然、同じ日に別の先生方からも同じような感想を頂き、3名の共著者が驚いた次第です。

金井 ただ僕は、それはむしろ地方自治体研究の主流派であって、本書は決して大胆ではないということです。だから、むしろ本書は自治体研究の中では従来からの流れに乗っています。もし、政治学を意識しているのであれば、メディアに加えて、圧力団体あるいは利益団体の話は絶対に入ると思うわけです。政党があって、官僚があったら、圧力団体を入れないわけにはいかないだろうと村松先生ならおっしゃると思うんです。非営利団体(NPO)と呼ぶか町内会や自治会と呼ぶかはともかくとして、圧力団体を入れざるを得ないだろうというのは普通の反応で、なんでそれが入ってないんだというのが恐らく自然に出てくる疑問だと思います。ここは少し違和感があります。

北村 我々は、最後は圧力団体があっても、議会ないしは首長に必ず還元されていくし、そこで政治的なバトルが行われて最終決定に至ると考えていました。彼らは選挙での再選確率を最大化するためには、どうしても社会を反映するはずです。ですので、ミニマムな記述を目指す場合、最終的に地方政府の決定は、首長、議会、職員の三者を見ることで必要最小限な説明は可能だと思ったわけです。
 あと、地方議会の存在も重要です。都道府県議会の場合は市町村単位の中選挙区制度のところが多いですし、一般の市町村では大選挙区制度のところが多いです。つまり、良くも悪くも少数利益が議会に比較的反映されやすい状況があります。ですので、社会の利益は、地方議会に凝縮していると考えました。

平野 私自身は選挙が大事だとずっと思っていて、この教科書もそう思って書きました。ただ、言われてみれば、例えば庁舎の移転問題とか、そういうものも含めて、住民団体とか商工会とか、様々な団体が影響力を行使していることはあります。第5章の条例制定で少しは扱っているのですが、明確に圧力団体にはこういうものがあるという話をまとめているわけではないですよね。
 とはいえ、地方の場合、圧力団体は、ひとまとめにして説明するにはあまりに多様すぎます。ほぼ権力側と一体化している団体もあれば、そういうものとは真逆のほうからずっと攻めている市民団体もあります。地方政治の圧力団体の話だけでも1冊の本になってしまうかと思います。やはり、社会に存在する多様で安定的な利益は議会の代表という形で収斂されていると考えて十分だと思います。

金井 しかしながら、圧力団体を入れていないというのは、政治学だけでなく、都市研究(市政学)の伝統からいっても違和感を持ちます。多元主義論でも都市レジーム論でも不思議な感じがします。
 ただ、なんで本書が圧力団体の説明を省いたのかというと、北村さんが先ほど説明されたように、恐らく1990年代以降の政治学の流れがあるからですよね。本書には、新制度論的な話、あるいは選挙で説明しようとする話の流れが如実に反映しているように思えます。
 だから、「結局、意思決定するのは首長と議会だろ」っていう話になり、「圧力団体はどうでもいいじゃん」となりますね。圧力団体が泣こうがわめこうが、最後は首長と議会の意思決定に、あるいは職員が提案する内容に還元できるんだから、圧力団体を見てもしょうがないということになるんですよね。法学的・制度論的政治学が制度と選挙だけを見てきたことに反発して政治過程論が圧力団体研究を進展させてきたのに、1990年代からは圧力団体は排除されていくわけです。圧力団体・社会集団研究から見れば面白くないんじゃないでしょうか。

青木 金井先生がおっしゃるように、1990年代以降の政治学の流れに乗っかっているというのは、その通りです。最近のいわゆる実証的と言われる政治学的な地方自治研究を参照して、引用できるものは引用しようと考えていました。
 あともう1つは、ストゥディア・シリーズとして初学者向けの教科書として出版するということが念頭にありました。1700の地方自治体に共通して存在するようなアクターに焦点を当てるとすると、中でも可視性が高いアクターは、首長、議会、職員となり、それらに絞って説明することが先決だと考えました。そうすることで、初学者向けに地方自治の授業をしやすくなるのではないか、今の大学生にとっても、なじみのあるアクターから少しずつ親しんでもらうことも必要じゃないかと思った記憶があります。

組織改革での自律性

青木 金井先生から第6章のすわりがちょっと悪いんじゃないかっていうコメントを頂いています。

北村 我々のイメージはやはり1990年代に府県の組織編制が自由になりましたので、地域社会に対する自律性で扱えるなという感じになったんですよね。

金井 これ、位置づけが難しいね(笑)。

青木 それは順番ですか? それとも内容ですか?

金井 国からも組織統制が弱くなったっていう話になると、国に対する自律性IIという話になってしまいます。しかし、首長が組織いじりを勝手にできるようになり、地域社会の文句もなしに自分で勝手に動かせるという意味では、確かに自律性Ⅰの議論ということもできます。

青木 2つの要素があるんでしょうね。対中央政府という観点で見ても、こういう組織編制の自律性が高まっていったっていうのは確かにある。ただ、首長が当選直後にお金もかけずにいじれるものは組織だということもできます。そういう二面性がある中で後者を優先して第2部に持ってきたわけです。

金井 ただ、その描き方を突き詰めると、選挙による住民統制が重要だという平野さんの視点とは一致しないと思います。組織改革は住民に対する自律性の問題なのか怪しいところです。そもそも、組織編制を動かすかどうかは、最終的には議会多数派の動向を見て首長が決めるのかもしれません。しかし、ここで議会多数派と首長との一種のカルテルが成立しているとすれば、選挙というのは実質的には形骸化するわけですし、そもそも選挙を通じた住民の地方自治体への統制なんてありえなくなるわけです。実際は、組織編制は住民の意向と関係なく勝手にできるわけであるというふうに書き切ってしまえばいいと思います。デモクラティック・コントロールなんかは利いていないという話で描いていれば、本書の為政者目線の特徴として、ここはすごいメッセージが出ているんですよね。

青木 しかし、第2部の自律性Ⅰで見ると、選挙などの住民による統制に服さないといけない話(第4章)や、同じ住民代表である議会の可決や合意を得なければ条例を制定できない話(第5章)とは異なり、首長が思いのままにできる程度が高いのが組織再編の話(第6章)ということになります。あくまで程度です。

北村 もし私が平野先生であれば、やっぱり選挙の洗礼が組織編制にも影響するというと思います。変な組織いじりをしたら次の選挙で危険になると考えるのだと思います。ですので、程度を表すことは可能だと考えています。どうですか、平野先生。

平野 まず、データで見ますと、首長選挙時の相乗りは市レベルでは減っていますね。それと、相乗りがあるからといって必ずしも住民の意思が反映されていないかというと、そうでもないと思います。二元代表制である以上、地方自治体の運営では必ず議会の支持が問題になってくるはずです。

金井 だから、地方の統治エリートは、住民や地域社会に対して自律性Ⅰを持っているように見えても、最終的には有権者に左右されているという自律性の欠如になるのですね。条例選定も、つくりたいものをつくっているんじゃなくて、みんなが納得してくれる範囲でコントロールされているし、組織編制も、恐らくやりたいようにやっていると見えるけれども、実は選挙で規定されているんだという話になれば、プリンシパル・エージェント論的に、結局住民の意思に左右されているという予定調和になるわけですか。

大阪大学大学院法学研究科教授=北村亘/東北大学大学院教育学研究科准教授=青木栄一/甲南大学法学部准教授=平野淳一/東京大学大学院法学政治学研究科教授=金井利之

有斐閣 書斎の窓
2018年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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