物質化し降り積もる“文字”、比喩するものは「現代の言葉」

レビュー

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文字の消息

『文字の消息』

著者
澤西祐典 [著]
出版社
書肆侃侃房
ISBN
9784863853195
発売日
2018/06/18
価格
1,512円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

人を殺す言葉と人を生かす言葉

[レビュアー] 都甲幸治(翻訳家・早稲田大学教授)

 文字が降る。いや、降っているのを見た人は誰もいない。だが気づけば窓に、壁に降り積もっている。小さな文字の断片は次々と現れ、街を汚していく。そして、屋根に積もった文字の重みで家々はつぶれてしまう。もはや瓦礫の下に埋もれた人々を助けることなどできない。

 本作の設定は幻想的だ。けれどもそこで描かれているテーマは僕たちもよく知っている。文字が降る街から逃げてきた人々は、最初は歓迎されるものの、実は彼らこそが汚染源ではないかと疑われて行き場を失う。文字の毒気に当てられた人々は互いを詰(なじ)りあい、こっそり他人の家に文字を捨てていた人を見つけては、正義の名の下に文字を投げつけ死の寸前まで追い込む。

 原発事故やネット上のいじめの被害者を苦しめているのは、不寛容な言葉だ。そもそも言葉とは、今ここに無いものを表わす記号でしかない。だからそれは物としては存在しない。しかし冷たい言葉は着実に人々に暴力を振い生命力を奪う。ならば本作では、物質化した文字たちは僕らの心の中で冷えて固まり武器となった、現代の言葉の比喩でもある。

 だが、人を生かす言葉もあるはずだ。本作は息子ミチノブを事故で失った老夫婦が、彼の元婚約者フミエさんへ綴る手紙という形式で書かれている。ミチノブの思い出やフミエさんへの心遣いが切々と語られ、いつしか不在の息子は、この手紙の中でだけは生き返る。そして現代の凍りついた言葉も溶けていく。

 しかもこの手紙自体が、降ってきた文字を組み合わせて書かれているのだ。「姿を消したものの記憶を呼び覚ますのは、困難を伴うものです」。にもかかわらず、温かな言葉の中で、もういない息子と僕らは再会することさえできる。

 幼少期ドイツにいた澤西は、漢字の官能性に気づく。完璧な形の「倫」という字、なんてなかなか思いつかない。日本語を内と外から自由に眺められる新たな書き手が誕生した。

新潮社 週刊新潮
2018年9月13日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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