『夏空白花』 須賀しのぶ著

レビュー

3
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夏空白花

『夏空白花』

著者
須賀 しのぶ [著]
出版社
ポプラ社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784591159521
発売日
2018/07/25
価格
1,836円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『夏空白花』 須賀しのぶ著

[レビュアー] 朝井リョウ(作家)

美徳の裏側も炙り出す

 主人公の神住(かすみ)は、玉音放送を聴きながら何の感慨も抱かないような新聞記者だ。国民の戦意を損なわぬよう嘘(うそ)を伝え続けた会社の人間として今後の身の振り方を案じる中、今だからこそ戦争に奪われた高校野球大会を復活させるべきだと主張する男に出会う。食料すら足りない時に野球なんてと呆(あき)れるが、妻の進言もあり、神住は会社存続と保身のため動き始める。文部省による妨害やGHQの学生野球への無理解など続々と現れる障壁を目の前にして、戦争で亡くなった仲間、自らマウンドを降りるしかなかった元甲子園投手としての過去などが蘇(よみがえ)り、神住は心から大会復活を目指すようになる。

 先日まで連日報道されていた甲子園。私は、なぜ野球だけここまで特別視されるのかと毎年首を傾(かし)げる人間なので、前半は主人公たちの思考や行動になかなか馴染(なじ)めなかった。とはいえ、緻密(ちみつ)な取材と膨大な知識に基づいた重厚な物語構成、魅力的な登場人物たちや数々の巧(たく)みな伏線など、著者の筆力それ自体が頁(ページ)を捲(めく)るには十分なエンジンとなっており、それだけでも凄(すご)いことだと感じたが、特筆すべきは後半だ。神住が記者として、一人の野球好きとして異国・アメリカの思想に触れるにつれ、日本の学生スポーツの美徳の裏側にある危険性、ひいては日本人特有の少し歪(いびつ)な精神性が炙(あぶ)り出されていく。この辺りから“史実を基に描いた、皆が読みたい気持ちの良い物語”の香りが変貌(へんぼう)していく。

 終盤、ある事件をきっかけに、神住が記者として文章を書くということ、すなわち世の中の真実に対してどう向き合うかという姿勢を問われる場面では、遂(つい)に自分事として文字を追わされていた。著者の編む言葉の網は、野球に若干の反発心を抱く私のような読者をも覆う。読後私は、来夏はこれまでとは違ったレンズを通して甲子園というものを観(み)られる予感を抱いた。一冊の本はそれだけで、私たちが長年見ていた景色の色合いを変えてくれることもあるのだ。

 ◇すが・しのぶ=1994年、デビュー。2016年『革命前夜』で大藪春彦賞、17年『また、桜の国で』で直木賞候補。

 ポプラ社 1700円

読売新聞
2018年9月9日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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