なぜ俺は裏切られ続けて死にゆくのか――。斬新な解釈で織田信長の内面を抉る歴史大作。 垣根涼介【刊行記念インタビュー】

インタビュー

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信長の原理

『信長の原理』

著者
垣根, 涼介, 1966-
出版社
KADOKAWA
ISBN
9784041028384
価格
1,980円(税込)

書籍情報:openBD

【刊行記念インタビュー】『信長の原理』垣根涼介


初めて歴史小説に挑戦した『光秀の定理』が十万部突破のベストセラーとなり、注目を集める垣根涼介さん。新作『信長の原理』は、卓抜な着想
で織田信長の人生を描ききった本格歴史巨編です。優れた人材を積極的に登用し、天下統一に手を伸ばしかけた信長。しかしその理想とは裏腹に、なぜか必ず脱落者や裏切り者が出てしまう。信長を悩ませる、見えない世界の原理とは何なのか? 渾身の新作についてインタビューしました。

 ***

信長の内面を深く掘り下げて

――織田信長の人生を描いた大作『信長の原理』が刊行されます。ベストセラーとなった『光秀の定理』とほぼ同時代を描いていますが、続編という扱いでしょうか?

垣根 確かに『光秀の定理』にも信長は出てきますし、内容的にリンクする部分もありますが、この二作は物語の組み方がまったく違います。だから「姉妹編」くらいの関係かな。『光秀の定理』では、新九郎と愚息という架空のキャラクターに比重を置いて、二人の視点から明智光秀という人物を浮き彫りにしました。エンタメ的な見せ場も随所に作っていますし、ややフィクション寄りの歴史小説になっていました。でも今回は信長の人生を史実に基づいて、時系列に沿って描いたもの。幼少期から晩年までを、僕なりに最短距離でたどったつもりです。それでも人一人の人生を描くためには、約六〇〇ページになりました(笑)。

――信長といえば、これまで多くの小説・映画の題材になってきた人物です。新たな信長像を生み出すにあたって、苦労やプレッシャーはありませんでしたか?

垣根 今回の信長に限らず、プレッシャーはいつでも感じています。今回の作品は、小説でよくある“周囲の誰かから見た信長像”という搦め手ではなく、信長個人の視点から、その内面を深く掘り下げていくという手法で書きたいと思っていました。こういう正攻法で攻めた作品は、その心理描写を彫り込めば彫り込むほど、従来の信長ものとはかなり違ったものになるのではと考えました。もっとも、この異端児の内面を詳細に描くことは、かなりの難題でした。

――尾張織田家の嫡男として生まれた信長は、荒っぽい気性のせいで周囲に恐れられ、実母にも疎んじられています。あまり幸福な少年時代ではなかったようですね。

垣根 「うつけ」だったと言われる信長ですが、さまざまな資料に当たってみると、決して知能が劣っているわけではないようです。ただ感情を抑えるのが苦手で、今日でいうLD(学習障害)でもあった気がします。そして何よりも、物事の根本原理が気になってしょうがない性格だった。人や社会を動かしているものは何か、神仏はいるのか、といった究極的な疑問につい目がいってしまうタイプですね。

――作品冒頭でも信長が蟻の行列を観察している、象徴的なシーンがありました。

垣根 それって知性うんぬんより、生まれついての性格なんだと感じます。そう考えると、信長の人生にまつわる疑問が自分なりに少しずつ解けてきました。深い疑問を抱いても家中の誰も答えてくれず、両親にすら理解されない。そこでますます苛立ちを募らせていく。孤独な少年時代だったろうなと思います。

戦国時代に起こったグローバリズム

――元服した信長は、自ら鍛え上げた精鋭部隊・馬廻衆を率いて、着々と勢力を拡大していきます。こうした信長の戦い方は、当時としてはかなり革新的だったとか。

垣根 当時の合戦って、もっとゆるくて悠長なものだったんですよ。戦になることが決まると、回状をまわして領地内の郎党を呼び寄せ、敵味方準備が調ったところでやっと出陣だ、ということになる(笑)。そもそも農繁期の春と秋には戦いませんしね。信長のように、常備軍を持てばいいじゃん、と考えた者はいなかった。ここにも物事をシステマティックに捉えようとする性格がよく表れています。僕は「信長天才説」は採らないんですが、物事をとことんまで突きつめるこの執拗さは、非凡だと思う。

――連戦連勝を続ける馬廻衆。しかし信長はある疑問にぶつかります。どれだけ厳しい訓練を重ねても、合戦時によく働くのは全体の二割。全員そろって最高のパフォーマンスを発揮することはありません。そこで信長は幼い頃に眺めた、蟻の行列を思い出します。

垣根 この現象は今日では「パレートの法則」や「働きアリの法則」と呼ばれているものです。どれだけ優れた人材を集めても、ほぼ二・六・二の比率でよく働く人、平均的な人、怠ける人が出てきてしまう。同じことは働きアリや働きバチの世界でも起こります。原因については諸説ありますが、結局よく分からないらしいですね。パレートの法則を取りあげることは、この小説を着想した時点で決めていました。現象自体は大昔から存在しているはずなので、信長が気づいても不思議はないだろうなと。

――尾張全域を手中に収めた信長と今川義元がぶつかり合った田楽狭間の戦いが、前半の大きな山場として描かれます。信長はなぜ数に勝った今川軍を、打ち破ることができたのでしょう?

垣根 おそらく、単純に運がよかったんですよ。作中でも「博打」という言葉を使っていますが、あそこで大雨が降ったことが有利に働いた。嵐が来なかったら負けていたと思います。時代劇ではよく馬に乗って奇襲したという描かれ方をしますが、あれは史実ではないようです。当時の馬というのは、現代の馬よりもうんと小さかったですからね。そこに何十キロもある甲冑を着けた兵士が乗って、遠距離を疾駆できるわけがない(笑)。

――天下統一を目指す信長は、下層民あがりの木下藤吉郎(羽柴秀吉)をはじめ、才能のある人材を積極的に登用していきます。これも当時としては、大胆なやり方だったようですね。

垣根 旧来の戦国大名といえば、地縁や血縁で結ばれた家臣と協力して、一家を守り立てていこうというスタンスです。同族経営の会社みたいなものですね。このやり方だとメンバーの結束は固まるし、細く長く存続することはできますが、外部に広がってはいかない。それはそれでいいんですよ。武田信玄も上杉謙信も、そこまで本気で天下統一を考えていたわけではないですから。一方の信長は、今日の実力主義、成果主義とまったく同じ考えをもっていた。万人にチャンスを与え、人材のシャッフルをくり返すことで、常にベストの布陣を試みようとします。現代の組織構造と一緒(笑)。

――成果主義のレースに参加させられた家臣たちは、日に日に疲弊してゆきますね。読んでいて非常に現代的なテーマだなと感じました。

垣根 そう。ここははっきりと現代のグローバリズムを意識して書いています。信長は徹底的にムダを省いて、人・モノ・金を効率的に管理しようとした。これはグローバル企業のやり方そのもの。社会がそうなれば当然、勝ち組と負け組の差が開いて、脱落して命を落とす人も出てくる。今回、別にそれを批判するような書き方はしていません。そういうものなんだ、というシビアな現実を描いているだけ。それを良いか悪いか判断するのは、読者の役目だと思っています。

現実ってそんなに単純じゃない

――柴田勝家、羽柴秀吉、丹羽長秀などの武将が、どう信長と対峙したかも読みどころですね。なかでも「稀代の悪党」と言われる松永弾正と信長の、一筋縄ではいかない間柄が印象的でした。

垣根 信長に神や仏はいるのかと聞かれ、弾正は「いない」と答えています。神仏を認めないということは、万物をあるがままに見通しているということ。そこで二人は響き合うんですね。しかも弾正は、「神仏がいるとしても人間などに関心はないだろう」とまで言っている。このセリフは僕の創作ではなく、記録に残っているものなんです。これだけでも弾正というのが、ただの悪党でないことがよく分かる。個人的にも興味を惹かれる登場人物です。また、この挿話は今回の作品のテーマにも深くかかわってきます。

――理想に裏切られる信長の苛立ち、家臣たちの疲弊、さまざまなピースが組み合わさり、本能寺の変という日本史上の謎へとつながってゆくクライマックスに興奮させられました。

垣根 本能寺の変については、ちゃんと答えを出したいという思いがありました。光秀は中途採用ながら、破格の出世を遂げています。その彼がなぜ謀反を起こしたのか。光秀の性格上、やるならもっと周到にネゴシエーションしたはずですが、それをしていない。その謎解きにあたる部分はパレートの法則を絡めながら、面白く書けたかなと思っています。

――まったく新しい信長伝としてはもちろん、グローバリズムに翻弄される人々の群像劇としても読める骨太なエンタメ作品で、『ワイルド・ソウル』などの垣根さんの現代ミステリ系の作品も連想しました。

垣根 実際、歴史小説でも現代ミステリでも、書き手のスタンスは変わっていませんから。社会の構造を切り取って、そこに放り込まれた登場人物の反応を描いてみせる。それは常に同じです。歴史小説は勧善懲悪とか義理人情とか、分かりやすいストーリーラインに回収されがちですが、現実ってそんな単純なものじゃない。たとえ歴史小説であっても複雑な、現代につながるものとして書きたい。グローバリズムと日々格闘している若い人たちにも、ぜひ読んでもらいたいですね。

――光秀、信長と書いてこられましたが、次回作は豊臣秀吉でしょうか?

垣根 いやいや。秀吉にはあまり興味がないんですよ。秀吉が天下を取れたのはたまたまあのポジションにいたからだという気がしますし、何よりビッグサクセスを目指す生き方自体が、現代と合わなくなっている気がする。その意味では、細川幽斎には興味がありますね。幽斎は五人の権力者に仕えながら、殺されることもなく、常にそれなりの地位まで登っている。現代人に響くのは秀吉よりむしろ、幽斎的なサバイバル戦略かもしれない。もちろん書くかどうかは別問題。まずは『信長の原理』を楽しんでもらえたらと思います。

――これからも斬新な時代小説を期待しています。

 * * *

垣根涼介(かきね・りょうすけ)
1966年長崎県生まれ。2000年『午前三時のルースター』でサントリーミステリー大賞と読者賞をダブル受賞してデビュー。04年『ワイルド・ソウル』で吉川英治文学新人賞と日本推理作家協会賞、大藪春彦賞の三冠に輝く。13年、初の時代小説『光秀の定理』を発表。16年の『室町無頼』は「2016年 歴史・時代小説ベスト10」1位に選ばれた。ほかに「ヒートアイランド」「君たちに明日はない」の両シリーズ、『クレイジーヘヴン』など。

取材・文=朝宮運河 撮影=ホンゴユウジ

KADOKAWA 本の旅人
2018年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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