書籍情報:openBD
無意味な作業をただ強いる 不思議な“工場”の物語
[レビュアー] 石井千湖(書評家)
シュレッダーに紙を入れ、シュレッダーカスの詰まったゴミ袋を捨てる。封筒の中に入った書類を校正する。親子連れにコケの観察の仕方を教える。登場人物の業務内容だけ書き出してみれば、これといって変わったところはない。過重労働を強いられることはなく、むしろ楽な仕事なのに不安が募っていく。小山田浩子の『工場』は、ある工場で働く三人の男女の日常を通して、世界のわからなさを描き出す。
巨大な工場の敷地にはスーパーや銀行など生活に必要なものがなんでも揃っている。森や川もある。外部と関わらなくても生きていけるから、みんな内部の環境に最適化しているのだ。例えば、シュレッダー場に契約社員として配属された牛山佳子に、正社員が部署の紹介をするくだり。〈アットホームな感じ〉と言いつつ、〈今何人いるのかな〉と続ける。正確な情報を把握せず、曖昧なまま現状を認識していても、目の前にあるミッションを遂行すれば問題は起こらない。だから意味不明な作業だと気づいても深く追及しない。工場ウや灰色ヌートリア、洗濯機トカゲといった見るからに奇妙な生物もすんなり受け入れる。世界と仕事の全体像に徹底して無関心な人々が生息する工場。
入社したてのころは違和感を抱いていた牛山が、ガラパゴス的な生態系に組み込まれるラストシーンは禍々しい。自分もこうやって知らず知らずのうちに大きなものの一部になっているのだろうと思う。
工場に勤める人を描いた小説といえば、津村記久子の『ポトスライムの舟』(講談社文庫)も思い出す。地に足の着いた金銭感覚を持つ主人公が、工場で稼ぐことができる年収を世界一周旅行に交換するという計画によって、閉塞感からぬけだすところがいい。
津村さんが愛読する哲学者シモーヌ・ヴェイユの重要な論考を集めた『シモーヌ・ヴェイユ アンソロジー』(河出文庫)もあわせてどうぞ。「工場生活の経験」の不幸にまつわる考察は必読。ヴェイユのいうとおり〈工場は、歓びの場所であるべきであろう〉。