人工知能はなぜ椅子に座れないのか――共生のための理解

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人工知能との共生のために「人間とは何か」を知る

[レビュアー] 板谷敏彦(作家)

 あらゆる労働がコンピュータによって代替され、人間には生きることだけが残された未来が待っている。こうした「シンギュラリティ」と呼ばれる人工知能が世界を支配するありがちな未来像が世にあふれている。

 しかし人間に取って代わるという人工知能を理解するには、そもそも人間がどういうものであるかを理解しなければならない。

 この本は数理生物学を専門とする著者が、科学技術やそれを支える物理や数学が、生命への理解と共に進化してきた歴史をたどる。

 例えば人間が物を見るという行為は、単に画像を脳で処理するだけではなく、主観的な理解が働いている。

 人が椅子に座るという行為は単純ではない、まず何のために椅子に座るのかという動機がある。疲れたからなのか、人と話をしたいからなのか。そして自分自身の身体を基準とする「自己」の認識(自分自身を知ること)と周囲の環境である「場」の認識(世界を知ること)を同時に行うことで初めて椅子というものを認識できるのだ。

 こうした時々刻々と変化する「無限定空間」を生きるには、事前に厳密に記述されたアルゴリズムでは困難で、主観となる「自己」を作り出していく「生命知」が必要である。

 自らの人生を生きる行為は人間や生物のみに許された行為で、現実には人間の知を超えるコンピュータは出現する目途すら立っていない。

 脳が優れた機能を持つがゆえに生まれる「錯視」、視覚と空間認識能力の違いを理解できる「ゴンドラ猫」の実験、人工知能では乗り越えられない「不良設定問題」、我々が人工知能と付き合う上で重要な「強い人工知能」と「弱い人工知能」の区分など、豊富な事例と順序だった説明は「シンギュラリティ」到来の問題に留まらず、我々人間は人工知能との共生のためにいかに主体的に生きていくべきかを示唆している。

新潮社 週刊新潮
2018年9月27日秋風月増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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