『オカルト化する日本の教育』
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国家の願望をインストールするだけの「義務教育」
[レビュアー] 小飼弾
正しい結果を出すのに必要なのは何か、プログラマーは皆知っている。正しいプログラムと正しいデータである。プログラムが正しくてもデータが間違っていれば間違った結果が出る。データが正しくともプログラムが誤っていれば誤った結果が出る。しかしユリウス・カエサルが二千年前に指摘した通り、人は好んで己が欲するものを信じる。望み通りのデータと望み通りのプログラムを用意しても、正しい結果にならないにもかかわらず。なぜ義務教育が必要なのか、なぜ報道の自由が必要なのか、つまるところそれが理由なのだ。結果に対する責任を皇帝(カエサル)一人が負う帝政ではなく、国民全員が負う民主政を選んだ以上、正しいプログラムと正しいデータを必要とするのは国民全員なのだから。
その義務教育が、正しいプログラムではなく望み通りのプログラムを将来の市民にインストールするとしたら? それがまさに進行していることを、『オカルト化する日本の教育』(原田実)は告発する。『国語教科書の中の「日本」』(石原千秋)が指摘する通り、国家の願望を義務教育を通してインストールする試みは今に始まったことではないけれど、それでもまだ教科書の行間に忍ばせるだけの「おくゆかしさ」が残っていた。本書が取り上げる「江戸しぐさ」と「親学(おやがく)」はそれすらかなぐり捨てている。その荒唐無稽さを笑っている場合ではもはやない。好んで己が欲するものを信じることにかけては、右も左も「同胞」なのだから。