【文庫双六】『さぶ』に見る、日本文化の“湿潤さ”――野崎歓

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風土

『風土』

著者
和辻 哲郎 [著]
出版社
岩波書店
ジャンル
歴史・地理/地理
ISBN
9784003314425
発売日
1979/05/16
価格
1,210円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『さぶ』に見る、日本文化の“湿潤さ”

[レビュアー] 野崎歓(仏文学者・東京大学教授)

【文庫双六】「川端」と同じ霊園に眠る「周五郎」の1冊――北上次郎
https://www.bookbang.jp/review/article/558523

 ***

 恥ずかしながら、これまで山本周五郎を読んだことがなかった。周五郎原作の映画はいろいろ見ているのだが。わが読書遍歴は、そんなとんでもない欠落だらけ。管啓次郎の快著『本は読めないものだから心配するな』のタイトルを呟いて自分を慰めつつ、『さぶ』を読んだ。面白かった!

 これこそ、日本ならではの物語ではないか。この国の自然環境そのものが小説の根本を支えている。

「小雨が靄のようにけぶる夕方、両国橋を西から東へ、さぶが泣きながら渡っていた」

 出だしの一文からして、何という湿り気の多さだろう。雨と涙が混じり合っている。そして舞台は隅田川、靄の中をまっすぐに延びる橋が実に絵になる。まさにジャポネスクだ。

 物語中盤で人足寄場を襲う大水の描写は圧倒的迫力。そこでしきりに思い出されたのが、『風土』の分類学だ。モンスーン、沙漠、牧場の三類型によって、世界各地の文化・社会の特質を説明できるという仮説である。

 もちろん、大胆な単純化ではある。しかしとりわけ、日本文化をモンスーンのもたらす湿潤と関係づけ、自然の恵みと暴威のいずれにも深く浸されたものとして説明する部分は、いまだになるほどと思わされる。

 他のモンスーン域と比べ、日本は台風と大雪によってさらに特殊な性格を帯びたと和辻はいう。忍従を基本とし、ときに反抗・戦闘に転じたとしても、きれいに諦めることをもって徳とする精神が育まれたのだ。

「しめやかな激情、戦闘的な恬淡」が「日本の国民的性格にほかならない」と和辻。たとえばそれが、『さぶ』に登場する人間たちのふるまいの核心を突く評言となっていることは確かではないだろうか。

 ところで、『さぶ』の結末部分にはびっくりした。あの人がそういう人だったなんて、という思いが読後も消えない。「恬淡」どころかけっこう強烈な仕掛けである。周五郎初心者の驚きは収まらないのだ。

新潮社 週刊新潮
2018年9月27日秋風月増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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