ポストトゥルースな「作」と「分断」 今月の文芸誌

レビュー

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“集合知的テキスト”を引用する体裁の小説、企みは面白いのだが…

[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)


『新潮 2018年9月号』

 文芸誌9月号は小説の本数自体が少なかった。

 ともあれ挙げなければいけないのは、鴻池留衣「ジャップ・ン・ロール・ヒーロー」(新潮)だ。全体がウィキペディア日本語版からの転載という体裁で書かれた「ダンチュラ・デオ」というバンドをめぐる物語なのだが、さらに何重かの仕掛けが施されている。

 ダンチュラ・デオには同じ名前のオリジナルがおり、二代目は初代を丸ごとコピーしようとしているバンドなのだが、初代は実は架空のバンドなのだ。おまけに二代目のボーカルの名前は「僕」なのである。

 ウィキペディアでの不特定多数による編集合戦から生成してきた(とされる)テキストが本文となるわけだが、有象無象により語られた「僕」という三人称の物語は一人称による私小説のように動き始めるし、初代をめぐり加筆修正される「虚」が二代目の「実」を塗り替えて、風呂敷はどんどん広がっていく。

 流行語で言えばポストトゥルース的作品で、企みはすごく面白いのだけれど、集合知的テキストを一人の作者が書くという点に困難があったのか、物語の展開と語りが滑らか過ぎる。ウィキペディアってもっとガタガタじゃないですかね。

 もう一作挙げるなら、古市憲寿「平成くん、さようなら」(文學界)か。予定調和的で、固有名詞のちりばめ方にも既視感があるものの、まあ、芥川賞候補になっても不思議ではない。

 最後に事件の続報を。早稲田大学大学院現代文芸コースセクハラ事件については早大調査委員会からようやく報告書(未公表)が出されたが、被害女性は「公正さを欠いている」と異議を申し立てたと報道された。文芸誌は依然黙殺を決め込んでおり、『文學界』10月号の連載で武田砂鉄が再度言及した以外には、同誌同号匿名欄に要領を得ない文章が載った切りである。

 北条裕子「美しい顔」事件についても、掲載誌『群像』のおわびを除くと、やはり『文學界』9月号匿名欄に誤謬含みの一文が出たに留まっている。見事な超然ぶりに、「文壇」ほどポストトゥルースな共同体(ムラ)もないものだと感心する。

新潮社 週刊新潮
2018年9月27日秋風月増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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