歴史への畏怖と圧倒的想像力――周木律『死者の雨 モヘンジョダロの墓標』

レビュー

10
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死者の雨

『死者の雨』

著者
周木 律 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103369929
発売日
2018/09/21
価格
2,090円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

歴史への畏怖と圧倒的想像力

[レビュアー] 円堂都司昭(文芸評論家)

 フリーのフォトグラファーをしている森園アリスは、人工知能の権威であるヒュウガ博士のポートレイト撮影のため、パキスタンを訪れる。だが、撮るはずの相手は、インダス文明のモヘンジョダロ遺跡の研究室から屋敷へ帰ってすぐに急死していた。アリスは奇妙なことに気づく。インターネットで博士とやりとりしていたシンガポールの海洋学者、日本の民族文化研究者、インドの宗教学者、イタリアの言語学者の四人が、いずれも博士が亡くなった翌日に急死していたのだ。事件だと考えたアリスは、ヒュウガの助手だったコウ博士とともに各国を周り、同時多発的な不審死の謎を追う。

 そうしたストーリーを持つ周木律著『死者の雨 モヘンジョダロの墓標』でアリスの行く先々に現れ、探偵役を務めるのが、一石豊である。一石とアリスは、周木が二〇一四年に発表した『アールダーの方舟』(文庫化で『雪山の檻 ノアの方舟調査隊の殺人』に改題。以下、『雪山の檻』と記す)が初登場であり、『死者の雨』はシリーズ二作目となる。『雪山の檻』では、「聖書」に記されたノアの方舟の痕跡を求めアララト山を登った調査隊での連続殺人事件が描かれた。ユダヤ教、キリスト教のカトリックとプロテスタント、イスラム教、無神論をそれぞれ信じる者たちがいあわせた複雑な人間模様のなかで、一体なにが起きたのか。数学者であるだけでなく、すべての記憶を失わず忘れることがないという特殊体質の一石が、真相を推理した。今回の『死者の雨』でも、彼が優れた能力をみせることになる。

『死者の雨』も『雪山の檻』も、事件の謎とともに歴史の謎を解き明かす趣向になっている。過去のカルト教団の事件で父を失ったらしいアリスを聞き役にして、一石が様々な分野に関する教養を披露しつつ、事件の背景を掘り起こしていく。それが基本スタイルだ。多くの言語を操れる彼は、膨大なことがらをただ覚えているだけでなく、知識を組みあわせ応用展開する思考力を持っている。

『雪山の檻』の場合、少人数の集団が悪天候で下界との連絡手段も絶たれる閉塞感、緊張感が、物語のベースにあった。一方、前作とは逆に『死者の雨』では一つの場所にとどまらず、各国を飛び回って現地の文化事情をみていく。そのようにある種の旅行記になっている点が興味深い。京都では穢れ、シンガポールでは人魚、イタリアでは解読困難な神代文字、インドでは諸国の神話で聖なるものとされている牛についてなど、一石は多様な物事を縦横無尽に話題にし、各地における事象の相互の関連性を指摘する。同時に、変わった形の三柱鳥居の下での死、クルーザー上での銛による死、被害者が残した見知らぬ文字など、本題である連続怪死事件に含まれる不可解な要素の背景を探る。そして、事件全体の構図と隠されていたインダス文明の真実に迫っていく。

 このシリーズは、関係者がみな歴史上のなにかに心をとらえられており、それゆえに事件が起きてしまうところに妙味がある。一石は、訪れた土地ごとの文化について雄弁さを発揮する。彼は、宗教や伝説、言い伝えなど、信じる人と信じない人に分かれる神秘の領域について話すとともに、建築物の構造や材料、航海技術など地域の文明を成り立たせた現実的な領域に関しても言葉を費やす。殺人事件の推理では動機と物証の両方を指摘することが要求される。心理と手段が問題になるわけだ。同様に歴史の解明でも、宗教に代表されるその社会の精神性と、文明を支えた技術や経済のありかたの指摘が求められる。一石は、それらを同時並行的にこなす。

 忘れることがない彼の思考能力は超人的だ。だが、本人は、忘れない才能は「幸運な恩寵(ギフト)」ではなく「悪意に満ちた宿痾(カルマ)」だと話す。アリスだけでなく一石にも辛い過去があったらしい。彼は、今はいなくなってしまった女性から贈られた腕時計を枷のごとく感じながら嵌め続けている。「時計を動かしているものがぜんまいならば、時そのものを動かしているものは一体、何なんだろうか」と、一石がアリスにもらしたことがあった。彼は自身の体験だけでなく読んだ本の一字一句も忘れないし、各国の歴史に関する尋常ではない情報量を蓄えている。しかしなお、まるでとらえきれない時間の流れというものが、人々を取り巻いている。一石豊という特異体質の探偵役を通し、そんな歴史の奥深さへの畏怖を感じさせるのが本書だ。作者の想像力の大きさに翻弄されつつ読んだ。

新潮社 波
2018年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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