「北朝鮮に勝てる」という幻想――ロバート・H・ラティフ『フューチャー・ウォー 米軍は戦争に勝てるのか?』

レビュー

5
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フューチャー・ウォー

『フューチャー・ウォー』

著者
ロバート・H・ラティフ [著]/平賀 秀明 [訳]
出版社
新潮社
ジャンル
社会科学/政治-含む国防軍事
ISBN
9784105070519
発売日
2018/09/27
価格
2,200円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

「北朝鮮に勝てる」という幻想

[レビュアー] 小泉悠(軍事アナリスト)

 北朝鮮の核・ミサイル開発を巡る2017年の危機は記憶に新しい。北朝鮮のミサイルがついに米本土を窺うようになったことで米朝の軍事的緊張はかつてないレベルまで高まり、米国が北朝鮮攻撃に踏み切るのではないかという観測が連日のようにメディアを賑わした。

 私にとって印象深かったのは、この危機の最中、日本社会に一種の高揚感のようなものが漂っていたことである。ひとことで表すならば、それは軍事力によるカタルシスへの期待、ということになろう。北朝鮮が脅迫的言辞や弾道ミサイル発射を繰り返し、緊張が高まるほどに、米国の圧倒的な軍事力がこの状況を一夜のうちに覆してくれるのではないか(たとえば当時盛んに言われた「斬首作戦」によって)というひそかな期待もまた強まっていったように思われる。

『フューチャー・ウォー』を読んで最初に私が想起したのは、北朝鮮を巡るこうした社会の空気であった。

 本書の著者であるラティフ氏は米空軍少将として数々の兵器開発に携わった経験の持ち主であり、自らの専門知識と精力的な取材とにより、米国で進む先端軍事テクノロジー開発の現状を丹念に描き出していく。バイオテクノロジーによって身体強化を受け、痛みや恐怖を感じない兵士、遠隔操作なしで自律的に行動できる無人兵器、敵の指揮統制システムを麻痺させるサイバー兵器、画像認識によって特定の人物だけを狙撃する技術……など、本書にはまるでSFのような将来軍事テクノロジーが次々と登場する。

 しかし、これらに対してラティフ氏が向ける視線は極めて警戒的である。なんとなれば、テクノロジーは自己目的化の傾向を常に孕んでいるから、と述べるのである。魅力的なテクノロジーの可能性が浮上した時、科学者はその実現を目指さざるを得ず、軍は他国に先駆けてこれを手に入れようとし、メーカーはその売り込みを図る。こうして、勝利に寄与するかどうかは二の次にされ、テクノロジー開発自体が自己目的化するという奇妙な事態が発生するというのである。

 このような傾向は、単に国家予算の無駄遣いにとどまらない問題を生む。強力な軍事テクノロジーはしばしば政治指導部や国民の間に「労せずに勝てる戦争」という幻想を生み、安易な軍事力行使へと走らせるためである。

 たしかに軍事力の優位はテクノロジーの優位と密接に結びついたものではあるが、両者は決してイコールではない。戦場には常に不確実性や想定外がつきまとうし、敵はテクノロジー上の劣位を補うべく創意工夫を凝らす。米国にとってのヴェトナム戦争やソ連のアフガニスタン介入のように、圧倒的な技術的優位にある側が苦戦を強いられたり、戦争目的の達成を諦めざるを得なくなる例は、戦史上、枚挙にいとまがない。

 なにより、どのような戦争も「楽に」などは勝てない。仮に国家間の勝敗は圧倒的であったとしても、戦場に送られた兵士は必ず心身に傷を負い、ときにそれは一生癒えることがない。にもかかわらず、多くの政治家や国民はそうした戦場の現実について無知であり、日々複雑化していくテクノロジーはその理解を一層難しくしていく。

 こうして軍隊から乖離してしまった社会は、無責任な善意から兵士たちを過酷な戦場へ(それも絶対的な必要性なしに)送り込みかねない。ラティフ氏は軍や兵士にうわべだけの敬意を払う人々に対してきわめて批判的であるが、それは彼らが「労せずに勝てる戦争」という幻想を信じて安易に戦争を支持しかねず、しかもその結果に責任を負わないためであろう。

 本稿を書いている現在、米朝間では非核化を巡る一時的な楽観が日増しに失われ、緊張の再来が囁かれている。もちろん北朝鮮の核開発は我が国にとっても国際社会にとっても脅威であることには変わりはなく、手段が尽きた場合には軍事オプションによってこれを排除することも究極的には否定されるものではないだろう。

 ただ、それは決して気軽に選択されて良い手段ではない。どれほどのハイテク兵器によっても戦場の過酷さが減じられることはないのであって、そこに兵士を送り込むからには社会は責任を持たねばならない。しかも朝鮮半島有事となれば、戦場の過酷さは日本社会にも直接押し寄せる可能性が高い。米軍の「斬首作戦」に対するそこはかとない期待論は、果たしてその覚悟を持ってなされていたかどうか。

「明日の戦争」がもはや空想の域に留まらなくなった現在、社会の側に身を置く我々こそが手に取るべき一冊といえよう。

新潮社 波
2018年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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