仏に逢うては仏を殺し(臨済録)――『菩薩天翅』著者新刊エッセイ 戸南浩平

エッセイ

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菩薩天翅

『菩薩天翅』

著者
戸南浩平 [著]
出版社
光文社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784334912413
発売日
2018/09/20
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

仏に逢うては仏を殺し(臨済録)

[レビュアー] 戸南浩平

 仏の加護か温情か、二作目を出せることになりました。

 廃仏毀釈が荒れ狂う明治初期を舞台にした、「業(ごう)」や「輪廻転生」の仏教思想を織りこんだミステリーです。

 そんな物語を書いておきながら、「神仏(かみほとけ)を信じていますか?」と問われると、「もちろん」と力強くはうなずけない。

 親の虐待で死んだ幼子や変質者に殺された女性のニュースなんか見ると、「神様なにしてたんだ!」と聞きたくなる。

 本当に神仏がいるなら、ただちに悪人の脳天に怒りの雷(いかずち)を落とさなければならないはずだ。ところが悪人どもは、たっぷり食ってぐっすり眠っている。

 仮にいても、神は人間なんか眼中にないんじゃないか。

 いわば人間と蟻くらいの隔絶した存在なのだと思う。

 親蟻(おやあり)が子蟻(こあり)を虐待。牡蟻(おすあり)が、牝(めす)の細い手足をヨダレ垂らしてポキポキもいでいても、ファーブルと養老(ようろう)先生以外、人間にとってはどうでもいいし、そもそも気づきもしないだろう。それと同様、人間がどんなひどい目に遭おうとも神様は知ったこっちゃないのだ。

 私も幸か不幸か、信長もびっくり、五十年を超えて生きてしまい、多くの時間を共有してきた人々もたくさんあちらに行ってしまっている。だから、神仏に懐疑的だとは言いつつも、天国や浄土があったらいいなと素朴に思っている。

 私も浄土へ行ったら、懐かしき人々との再会を果たしたい。

 そののち、懐剣を忍ばせて仏様のもとを訪ねようと思っている。そして、螺髪(らほつ)と螺髪のすき間に十指を食いこませてつかんだ頭をゆすぶり、「あんなに祈ったのに、私の本はちっとも売れませんでしたよ!」と涙ながらに問いただすつもりだ。「どうしてなんですか!」さらに糾弾。「う~ん、それは……」目をそらして口ごもる仏様。「お布施が足りなかったんですか!」「いや、……さ……才能が無か……」ズブリッ!――なんて修羅場にならぬよう、菩薩のごとく慈悲深い皆様の喜捨をせつに。合掌。

光文社 小説宝石
2018年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

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