【文庫双六】日本は“雨の国”だから当然、小説にも描かれる――川本三郎

レビュー

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濹東綺譚

『濹東綺譚』

著者
永井荷風 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784101069067
発売日
1951/12/27
価格
473円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

眺めるだけで安楽椅子トラベラー

[レビュアー] 川本三郎(評論家)

【前回の文庫双六】『さぶ』に見る、日本文化の“湿潤さ”――野崎歓
https://www.bookbang.jp/review/article/558635

 ***

 和辻哲郎は『風土』のなかで、日本はモンスーン地域にあるため、その文化は湿潤さを特色とすると言う。

 湿潤さを雨と考えるとこの説はよく理解出来る。

 日本は雨が多い。豪雨は災害をもたらすので困るが、細雨(さいう)や微雨(びう)は人の心を落着かせてくれる。

 鉄道の旅が好きだった紀行作家、宮脇俊三は梅雨の季節にこそ旅すべきだと言った。日本の風景は雨に濡れると美しいから。

 小雨に洗われた竹藪、霧雨にけぶる里山、驟雨(しゅうう)で一瞬にして色が変わってゆく瓦屋根(そもそも日本語にはなんと多様な雨の言葉があることだろう)。

 これに加え雨のなかの花がある。六月は花の季節で菖蒲、水芭蕉、紫陽花(あじさい)など美しい花が咲く。

 宮脇俊三を真似て六月によく旅をする。乗る鉄道は水戸と郡山を結ぶ水郡(すいぐん)線。田植えを終えたばかりの水田のなかを列車が走る。水の風景が素晴しい。

 日本は雨の国だ。

 当然、日本の小説には雨が描かれる。幸田露伴『五重塔』や芥川龍之介『羅生門』の雨は強すぎて苦手だが、山本周五郎『雨あがる』や藤沢周平『驟(はし)り雨』の雨は忘れ難い。

 林芙美子は雨を愛した作家で、『浮雲』では主人公のゆき子を「月のうち、三十五日が雨」と言われる雨の島、屋久島で死なせた。

 林芙美子が敬愛した作家は永井荷風。やはり雨好きで、代表作『ぼく東綺譚』で雨をうまく使っている。

 荷風自身を思わせる六十歳になろうとする「わたくし」が昭和十一年頃、隅田川の東にあった私娼の町、玉の井へ出遊する。

「わたくし」は多年の習慣で町歩きに傘を持つ。

 六月のその日、玉の井を歩いていると案の定、雨が降り始めた。

 傘を開く。そこに若い女性が飛び込んで来た。

「檀那(だんな)、そこまで入れてってよ」

 私娼のお雪。二人のささやかな関係は、突然の雨から始まった。そして通り雨のように短かく終る。

新潮社 週刊新潮
2018年10月4日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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