『リンカーンとさまよえる霊魂たち』 ジョージ・ソーンダーズ著

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リンカーンとさまよえる霊魂たち

『リンカーンとさまよえる霊魂たち』

著者
ジョージ・ソーンダーズ [著]/上岡 伸雄 [訳]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784309207438
発売日
2018/07/25
価格
3,672円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『リンカーンとさまよえる霊魂たち』 ジョージ・ソーンダーズ著

[レビュアー] 岸本佐知子(翻訳家)

死者の思いが迫る

 ブッカー賞作家ソーンダーズの書くものはつねに風変わりで荒唐無稽で、ときに馬鹿馬鹿しくさえあるのに、げらげら笑ったり呆(あき)れたりしながら読むうちに、いつの間にやら胸のいちばん柔らかい部分を激しく揺さぶられている。いつだってそう、まるで魔法だ。

 幼い息子を亡くしたエイブラハム・リンカーンが、夜ごと墓所を訪れては慟哭(どうこく)した――という史実に霊感を得て書かれたこの本の舞台は墓地、そして登場する百人ちかい人物たちのほとんどは死者だ。彼らは自分が死んでいることに気づかないまま、現世への未練のために変形した姿で夜な夜な墓地を跋扈(ばっこ)する。新妻との初夜を目前に頓死したために、全裸でつねに勃起しっぱなしの男。世界の美を味わい足りない遺恨を残して死んだせいで全身に無数の目や鼻を生やした若者。ある恐ろしい記憶のために永遠に恐怖の表情が張りついてしまった牧師――。

 そこに新参者の十一歳のウィリー・リンカーンが舞い降りる。だが子供がこの場所に長くとどまれば、苛酷(かこく)な末路が待っている。物語は、何とかそれを阻止して彼を“成仏”させようとする三人の死者たちの一夜の奔走を描くが、ウィリーという無垢(むく)な魂の到来は死者たちにも変化をもたらし、ひいては父リンカーンや南北戦争、奴隷解放の行方さえも変えていく。

 風変わりなのはこの本の形式だ。地の文はなく、大勢のセリフと膨大な史料の引用だけで構成されている。時代も階層も人種もまちまちの無数の声が、ギリシャ劇のコロスのように重なり合い響き合うのを聞くうちに、自分もその声たちの一部であるような不思議な感覚が生まれ、遠い昔の歴史の一ページが、死者たちの思いが、ふいに生々しい「今」となって迫ってくる。ソーンダーズの魔法は、いつも読み手をヒトという生き物の持ついじらしい美に向き合わせる。気づけば最後の数十ページずっとボロ泣きしっぱなしの自分がいた。上岡伸雄訳。

 ◇George Saunders=1958年生まれ。邦訳に『パストラリア』など。本書でブッカー賞受賞。

 河出書房新社 3400円

読売新聞
2018年9月30日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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