『私が誰かわかりますか』
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私が誰かわかりますか 谷川直子著
[レビュアー] 樋口恵子(評論家)
◆感動もある、介護という営み
主人公・桃子は著者の分身。意気投合した男性と結婚するため東京から地方の小さな町へ移住した。中年子なしの再婚同士。親とは別居で出発した生活は、数年後、義父の認知症発症で一変する。長男の嫁がいるのに老人ホームに入れることは、まだこの町ではタブーなのだ。判断基準は本家分家関係を含む「世間体」である。
桃子は、介護生活の中で、介護に疲れ果てた「長男の嫁」たちに出会う。その多様性に満ちた物語が本書の読みどころの一つ。高齢出産で心身不安定な瞳(ひとみ)のもとへ、夫は認知症になった母を「頼むわ」と言って連れてきた。静子は、夫の死後も、二世帯住宅の義父母の介護から生計まで一身に引き受け、お礼のひとこともない。独立した娘からは「死後離婚」(姻族関係終了届)をすすめられているけれど。
近年、統計的には家族介護者に男女を問わず実の子が増え(21・8%)、子の配偶者(ほとんど嫁)は9・7%。介護嫁は数字上は長期的低落傾向にあるが、まだ都会でも消えたわけではなく、恭子という桃子の学生時代の親友は、「校長先生」の義父の介護に苦心惨憺(さんたん)だ――。
著者は「長男の嫁」の苦難の実態を語るだけでなく、同時に介護したからこそ得られる感動についても語る。タイトルの「私が誰かわかりますか」を著者が書いて示すと、終末近い認知症の義父は「桃子じゃろ」と「吐息のような声で答えてくれた」。この場面が本書のもう一つの主題として全編に広がっていく。
たしかにそうだろう。そうでなければ、介護した嫁、女たちは浮かばれない。「世間体」という締め付けが、介護を終えた嫁を認め称賛し、それによって嫁=桃子は慰めを得る。「世間体」も社会をつなぐひとつの道なのだ。それやこれや考え合わせて、介護はやはり最も人間らしい営みであることが伝わってくる。 それにしても介護という行為が、こんなに「女性」「長男の嫁」に偏るなんて、男性の多くはその機会を逸し過ぎているのではないだろうか。
(朝日新聞出版・1620円)
1960年生まれ。作家。著書『おしかくさま』(第49回文藝賞)など。
◆もう1冊
中島京子著『長いお別れ』(文春文庫)。認知症になった元校長の10年。