「違う」と感じることに正直に生きる。それが、自分を生きること。

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「違うこと」をしないこと

『「違うこと」をしないこと』

著者
吉本 ばなな [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784041050644
発売日
2018/10/12
価格
1,540円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「違う」と感じることに正直に生きる。それが、自分を生きること。――【書評】『「違うこと」をしないこと』樺山美夏

[レビュアー] 樺山美夏(ライター、編集者)

「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。」

 この一文ではじまる吉本ばななさんのデビュー作『キッチン』から、三十年の時が経った。刊行当時は、バブル景気に沸いて誰もがお金と欲に踊らされていた。だがその時代の波に違和感を覚えていた人も少なからずいた。

『キッチン』を読んでいたのはたぶん後者で、私もそのひとりだった。家族を失った主人公のみかげが絶望の淵から再生するこの物語はその後、世界中で読まれ、それからもばななさんは、孤独や喪失感を抱える者に作品を通して寄り添い続けてきた。小説に人は癒され、救われることがある。

 しかし本を閉じると、目の前にあるのは現実だ。家族、お金、仕事、友人、恋人……。自分だけに与えられた、自分だけのかけがえのない人生を歩くのは、他の誰でもない「私」なのである。ところがこの「自分を生きる」ことほど難しいものはない。それは、人類の普遍的課題と言ってもいいだろう。

 デビュー三十年を迎えたばななさんが、その問題に向きあった本を上梓した。題名は『「違うこと」をしないこと』。著者自身が自分をどう生きてきたかを振り返ったひとつの軌跡でもある。本書は、宇宙LOVEアーティストの白井剛史(プリミ恥部)氏との対談や、スピリチュアルタレントCHIE氏との対談のほか六章で構成されている。全体に通じるのはタイトル通り、「なんかいや」「違う」と感じることを避け、自分に正直に生きる必要性を伝えている点だ。なぜなら、ばななさん自身、失敗の連続だったから。そして、自分をごまかし続けていると、どんどんズレて苦しくなって、心も体も悲鳴をあげてしまうことを、痛いほど経験してきたからだ。

 プリミ氏は、そんな彼女との対話で、「初期設定があいまいな人が多い」と話す。本来あるべき姿の自分ではなく、親や世間や義務教育などから刷り込まれた常識に縛られて、苦しみながらも我慢している人が多いのだ。それに対しばななさんは、「私の初期設定には『オバケのQ太郎』のQちゃんが入ってる」と返している。何か揉め事が起きると、食べて寝ることでしのいできたというのだが、そのことに気づいたのは最近で、ずっと自分を責めてきたという話は意外だった。

 もう一人の対談相手CHIEさんは、十四歳のとき事故で記憶喪失を患ってから人のオーラが見えるようになった人だ。彼女と、何事もなく無事に生きていることが奇跡という話で意気投合するばななさんもまた、作家デビューする前は毎日が恐怖と隣合わせで、死を身近に感じていたという。死を近くに感じながら生きていくのは本当に大変なことだから、悪い兆しを見逃さず、流れに逆らわずに生きている二人の話には、具体的なエピソードも多くて深く共感する。

 ただ、人には毎日の生活がある。お金を稼ぐため時間に追われている人もいる。だがそれも、過去の自分のせいにしたり、今の生活レベルを下げたくないから、現状から抜け出せないのだと気づかせてくれる。まるで当たり前のように被っていた価値観や常識の皮を、一枚ずつはがしてくれるように。

 最後のお悩み相談で印象的だったのは、「とりあえず元気を出そうと思ったら、何をしますか。」という質問に、「ひとりで夕方居酒屋に行って、ビールとつまみをしみじみ楽しむ。」と答えていることだ。「この時だけは自分のものだ」と気づいたことはあるかという質問に「ひとり居酒屋」と断言するばななさんは、まさにQ太郎であり、美味しいカツ丼を大切な人に届けるため深夜にタクシーをぶっ飛ばした『キッチン』のみかげなのである。「食」は「生」の象徴だ。「いつか死ぬ時がきたら、台所で息絶えたい。(中略)台所なら、いいなと思う」とみかげが言ったように、自分を生きていれば、何も怖くない。何も後悔はない。『「違うこと」をしないこと』は、そう強く思わせてくれる作品だ。

KADOKAWA 本の旅人
2018年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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