『レジェンド歴史時代小説 見知らぬ海へ』
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謎のまま残された未完のラスト
[レビュアー] 北上次郎(文芸評論家)
【前回の文庫双六】実は「三田文学」出身の“剣豪小説家”柴田錬三郎――梯久美子
https://www.bookbang.jp/review/article/559275
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眠狂四郎シリーズがどういうふうに終わったのかはあまり知られていない。実に意外なかたちで終わっているのだ。
その最終篇『眠狂四郎異端状』で清国に向かうために船に乗り、南支那海で冒険を繰りひろげるのである。この作品が興味深いのは、おそらくシリーズ最高傑作と思われる第六作『眠狂四郎無情控』の台詞が忘れがたいからだ。
「日本人町の面々が、軍船を組んで、押し寄せてくる図を、想像すると、柄にもなく、この冷えた血汐が、すこし熱くなって来そうだ」
眠狂四郎といえばニヒリストヒーローの代表といっていいのに、そういう男が「すこし熱くなって来そう」と言うのだから尋常ではない。『眠狂四郎異端状』はそれを受けた最終篇なのである。もしもこのまま、南海の果てまで船が行ったのなら、眠狂四郎にはどんな人生が待っていただろうかと夢想する。狭い日本を飛び出せば、あるいはこの男の性格も変わってしまうかもしれない。明るくなった眠狂四郎は見たくないが、眠狂四郎の熱い物語は読んでみたい。このシリーズの先は読むことが出来ないので、それは謎のまま残されている。
同様に謎のまま私たちに残された小説が、隆慶一郎『見知らぬ海へ』だ。
武田氏滅亡のあと、徳川水軍の海賊奉行になった向井正綱の生涯を描く長篇で、隆慶一郎唯一の海洋時代小説である。海の戦闘を描く海洋描写が圧巻で、海を描いてもこんなに上手いのかと驚かされる。
向井正綱は実在の人なので、どういう生涯を送るのか、どうやって亡くなるのか、それは明らかになっている。その意味では、眠狂四郎のラストのような謎はない。しかしその史実のなかに何を見るかで、小説は一変する。
隆慶一郎なら、私たちの知らない向井正綱を作り上げたのではないか。著者の死で未完となったために、その謎が残されているのが悔しい。