【ニューエンタメ書評】戸南浩平『菩薩天翅』三木笙子『帝都一の下宿屋』ほか

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク
  • 翼竜館の宝石商人
  • 菩薩天翅
  • 明治銀座異変
  • 徳川慶喜公への斬奸状
  • 帝都一の下宿屋

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

エンタメ書評

[レビュアー] 末國善己(文芸評論家)

紅葉のたよりが聞かれるころとなりました。今月も力作8点をご紹介します。
秋の夜長、心地よい虫の音を聞きながら、ゆったりとした読書のひとときをお過ごしください。

 ***

 江戸川乱歩賞を受賞した『カラマーゾフの妹』以来、六年ぶりとなる高野史緒の新作『翼竜館の宝石商人』(講談社)は、一七世紀のアムステルダムを舞台にしたミステリである。

 レンブラントの絵から、古代ローマの英雄キウィリスが抜け出すとの噂が流れた。同じ頃、ペストで死んだ宝石商ホーヘフェーンが、屋敷の翼竜館から運び出され埋葬された。だが翌日、翼竜館の密室状態の部屋でホーヘフェーンと瓜二つの男が発見されたという。事件に巻き込まれたレンブラントの息子ティトゥスと記憶を失った男ナンドが、この謎に挑む。

 博覧強記の著者は、レンブラントのエピソード、風車で水を汲み上げていないと水没し、水が澱むと悪臭を放つアムステルダムの都市構造、治療法がなく大流行の記憶も色濃いペストの恐怖、当時の宝石取り引きの実態などを圧倒的な情報量で描いており、当時のアムステルダムに迷い込んだかのような気分が味わえる。何より、事件の背景説明に思えた記述を、伏線として用いる緻密な構成に驚かされた。

 著者はSF的な趣向を導入することも多いが、本書ではそれが抑えられている。ただ虚実の皮膜を巧みに操り、一七世紀のアムステルダムでしか成立しないトリックを作っており、歴史小説好きも、ミステリ好きも満足できるはずだ。

『木足の猿』で日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞してデビューした戸南浩平の二作目『菩薩天翅』(光文社)は、前作と同様に明治初期を舞台にした時代ミステリである。

 廃仏毀釈の嵐が吹き荒れていた明治六年。東京の悪党が仏教を想起させる装飾を施されて殺される事件が相次ぐ。秘かに悪党を始末する犯人は、「闇仏」と呼ばれ称賛を集める。ある日、「闇仏」が極悪人の大渕伝兵衛を殺すと予告した。武家出身だが、今は旅の途中で出会った少女サキと裏長屋で暮らす倉田恭介は、腕を見込まれ大渕の用心棒になる。

 物語は、倉田が「闇仏」を始め大渕を狙う刺客たちと戦うアクションと、「闇仏」の正体をさぐる謎解きを軸に進む。

 その過程で、悪党に私的制裁を加えている「闇仏」は善か悪か、根っからの悪党・大渕を守る倉田は善か悪かなど倫理の問題が俎上に載せられるだけに、読者も自分の心と向き合うことになる。だが善悪の議論はテーマだけでなく、狂気と紙一重の動機に説得力を持たせる伏線にもなっているので、泡坂妻夫を思わせる犯人の論理には衝撃を受けるだろう。

 滝沢志郎『明治銀座異変』(文藝春秋)も、『明治乙女物語』で松本清張賞を受賞した著者の第二作である。

 明治一六年。銀座を通行中の馬車鉄道の馭者が、何者かに狙撃された。重傷ながら病院に運ばれた馭者は、「青い眼の子」と口にしたという。開化日報の記者・片桐栄一郎と探訪員見習いの少女・加藤直は、この言葉の意味を調べ始める。

 純粋にミステリとして読むと小粒だが、働く女性を目差す直を通して、前作から引き続きのテーマといえる女性の自立を助けようとしない社会のあり方に切り込み、新聞記者を主人公にすることで、権力を監視するジャーナリズムの役割を改めて問うなど、現代とも重なる問題が活写されている。

 謎が解かれるにつれ、歴史が生んだ悲劇とはその後どう対応すべきなのか、それにより恨みを抱いた人々と和解する方法はあるのかも問われており、考えさせられる。

 須田狗一『徳川慶喜公への斬奸状』(光文社)も、『神の手廻しオルガン』でばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞した著者の第二作である。

 明治四三年。最後の将軍・徳川慶喜が襲われた。護衛に射殺された犯人は、「遥光の斬奸状」は「愚書」と書かれた紙を持っていた。小川巡査部長の捜査で、犯人は広津光二なる男と判明。広津の家に行った小川は、「ある物」を「雲」に隠したという謎めいた遺書を発見する。小川は、要人の暗殺を警戒する特高が派遣した竹内と捜査を続けるが、火事場で見つかった焼死体と事件の接点が浮かび上がってしまう。

 人物の入れ替え、重要書類の意外な隠し場所、「遥光」や「雲」の意味を探る一種の暗号解読などを幾重にも重ね、新たな事実が判明するたび状況が目まぐるしく変わっていく。そのため膨大な手掛かりを過不足なく使って組み立てられる真相にはカタルシスがある。謎解きの先には、鳥羽伏見の戦いの直後、大軍を擁していた慶喜が、寡兵の新政府軍と戦わず開陽丸で逃走した理由について、独創的かつ合理的な解釈が置かれており、歴史ミステリとしても面白い。

 事件の背後には、無政府主義者によるテロを阻止したい政府の思惑が見え隠れする。著者は、政府が国の秩序維持のために国民を管理する方向に舵を切ったこの時代を歴史の転換点としているが、これは現代人にとっても他人事ではない。

 時代ミステリが得意な三木笙子の『帝都一の下宿屋』(東京創元社)は、明治時代の銀座にある下宿屋で暮らす作家の仙道湧水と大家の梨木桃介が、日常の謎に挑む連作集である。

 美味しいと評判の味噌の味が落ちた理由に迫る「永遠の市」、社長宅から特許関係の書類が消える「障子張り替えの名手」、条件はいいのに、なぜか契約直前に取りやめが続く借家が出てくる「怪しの家」などの事件は、シンプルかつ効果的なトリックで解かれるので、短編らしい切れ味がある。

 傍若無人なのに大家の前では猫をかぶっている湧水、家事全般に精通し特に料理がうまい桃介など、登場人物がとにかく魅力的だ。悪い人は相応の報いを受け、事件で窮地に立ったり、傷ついたりした人は最後に癒される、やさしい世界観になっており、明るい気持ちで本が閉じられるだろう。

 昭和一二年に実際に開かれた名古屋汎太平洋平和博覧会を舞台にした辻真先『深夜の博覧会 昭和12年の探偵小説』(東京創元社)は、久生十蘭『魔都』や江戸川乱歩のいわゆる通俗長編を思わせる都市型探偵小説と館もののエッセンスを融合した、探偵小説への愛と遊び心に満ちた作品である。

 銀座で似顔絵を描きながら漫画家を目差している少年・那珂一兵は、三流紙・帝国新報の社長に頼まれ、女性記者の降旗瑠璃子と共に名古屋博をスケッチしに行くことになる。

 名古屋に着いた一兵たちは、大富豪の宗像昌清を訪ねる。満州やハリウッドにもコネを持つ宗像のところへは、満州の有力者・崔桑炎と妻、愛妾らもいた。すぐに一兵たちは、宗像版パノラマ島とでもいうべき塔に招かれる。

 その頃、銀座では、一兵が恋心を抱いている燐寸ガールの宰田澪が、薬で眠らされ拉致されていた。目覚めた澪は、縛られたまま崔の愛人になっている姉の杏蓮を見るが、再び眠りに落ちる。次に気が付いた時、澪は銀座の路上にいたが、上空から血が降り注ぎ、杏蓮の足も落ちてきたのである。

 事件が派手なだけにトリックも大掛かりで、これを考えた御年八六歳の大家の想像力は脱帽ものだ。戦中派の著者は、探偵小説は平和な時代しか楽しめない、とのメッセージを繰り返し描いている。国の美辞麗句には騙されるな、戦争は美しくない、前線には英雄はいないという問題提起は、国家の強権も戦争も知らない世代が増え、それがきな臭さに拍車をかけている時代を生きる現代人にとって重く受け止めるべきものである。愛国少年だった一兵が、事件を通して国の愚かさを学ぶ展開が、テーマをより印象深くしていた。

 探偵小説への愛では、江戸時代、戦前、戦後の三部で、各時代に活躍した小説の中の名探偵たちを共演させた(総数五〇名以上。ワトソン役やライバル関係にある犯罪者を併せるともっと多い)芦辺拓『帝都探偵大戦』(東京創元社)も敗けていない。

 各編は、名探偵たちが個別に解いていた謎が次第にリンクし、巨大な陰謀が浮かび上がる凝った構成になっている。

 野村胡堂が生んだ銭形平次、江戸川乱歩が作った小林少年が活躍するパートになると、原典そのままに「ですます調」になるなど文体模写も完璧。巻末には編集部編による「名探偵名鑑」が付けられており、原典を読んでから本書を読むと、著者の仕掛けがより深く理解できるのではないか。

 江戸の名探偵たちは、表に出ていない犯罪者を捕まえる正義のヒーローだった。だが戦時中の探偵は、前線で多くの死者が出ているのに、後方で数人が殺された謎を解く矛盾を抱え、国策に協力しなければ存在が許されなくなった。自由と民主主義がもたらされた戦後になると、探偵は再びヒーローになるが、高度成長期になると謎解きをする主人公が多様化し、必ずしも探偵が活躍しなくてもよくなっていく。

 こうした流れを小説の中に織り込んだ本書は、優れた探偵小説論でもある。そして『深夜の博覧会』と同じ問題提起があるところに、現在の状況に対する探偵作家たちの危機意識もうかがえる。

 思想犯を取り締まり、言論弾圧を行った特高の刑事は、悪役にされることが多い。葉真中顕『凍てつく太陽』(幻冬舎)は、その特高の刑事を主人公にした異色作である。

 昭和二〇年一月。製鉄の町・北海道の室蘭で、飯場の管理人と上司の陸軍士官、二人の朝鮮人が殺された。これを皮切りに、現場に謎めいた血文字を残す殺人事件が連続する。

 日本人の父とアイヌの母を持つ特高刑事の日崎は、日本人以外を見下す三影と事件を追うが、罠に落ちて逮捕され、網走刑務所に送られてしまう。

 異なる民族を認める日崎と差別主義者の三影の確執は、現代日本の縮図といえる。著者は、アイヌが独自の宗教・文化を奪われ日本人と同化させられた歴史、日本が朝鮮半島で行った植民地政策を丹念に描くことで、日本はアジア諸国の近代化を助けたという今も一部に根強い主張の欺瞞を暴き、さらに国家とは、民族とは何かを問う根源的なテーマにも鮮やかに切り込んでいた。

 といっても、本格ミステリ、警察小説、スパイ小説、刑務所ものなどの要素がすべて楽しめる本書は、決して硬いだけの物語ではない。特に犯人の意外性は際立っており、謎が解かれた時、前半の謎めいた描写の意味が分かったり、構図が反転したりするところは、快感を覚えるほどだった。

角川春樹事務所 ランティエ
2018年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク