『ここにいる』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
大阪「母子餓死事件」を基に描く“すぐそばにある”都会の孤独
[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)
四十歳を目前にした美君(メイジュン)と六歳の娘。台湾の都会で暮らす母子二人の孤独な境遇が、彼女自身の語りと、娘や別居中の夫、学生時代の男友だち、元同僚ら、彼女を取り巻く人々の声を通して浮かび上がる。
別居のきっかけは、夫からの暴力だ。アパートの部屋を貸してくれた男友だちを「あなたと結婚すればよかった」と思わせぶりに誘う美君は、彼と肉体関係を持つ一方で、夫からの連絡をじっと待っている。直接、話し合うかわりに、彼女は自分のサインの入った離婚協議書を送りつける。プライドの高い妻が自分の暴力を許すわけがない、と考える夫に、その真意が伝わるはずもない。
美君の外見は平凡だが、ゆがんだ自意識は肥大し、いかにも付き合いづらそうな人物として描かれる。家族や同僚、近所の人に向ける視線は容赦ない。自分に優しくない、という理由で相手との関係を断ち切るが、妄執じみた悪感情は相手にも伝わり、孤立という形で彼女自身にはねかえってくる。
安定した半官半民の職場を辞め、夫のもとを離れ、美君を社会につなぎとめていた糸は次々にほどけていくが、彼女にはそれを結び直す方法がわからない。人が大勢行き交う都会の片隅の吹きだまりのような場所に流れついた二人は、ぱっくり口を開けた暗い穴に、なすすべもなく落ちていく。
二〇一三年に大阪市内で起きた、母子の餓死事件から想を得た小説だという。もとはそれほど貧しくもなかった母子が、食べものもなく、電気もガスも止められた状態で死んでいき、しばらくの間、誰もそのことに気づかなかった。
なぜ誰かに助けを求めなかったのか、孤独の中に亡くなった人の心のうちを知ることはできないが、この小説に刻みつけられた都会の孤独は寒々として深く、自分たちが暮らしているすぐそばにあるものとして描かれている。