写真と解説で“絶滅動物”に思いをはせる

レビュー

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残された写真がかきたてる「もういない」悲しみ

[レビュアー] 渡邊十絲子(詩人)

 大きくて重いこの本を写真集だと思って買ったが、そうではなかった。もちろん絶滅した動物たちの写真もたっぷり載っているが、これは、それらの動物が絶滅した経緯や人間との接触のエピソード、その写真が撮影された背景などについて、かなり詳しく書かれた本なのである。

 ひとつの写真から次の写真に視線がなかなか移せない。くぎづけになってしまう。写真はかなり古い年代のものが多く、ボケていたり、逆光で細部が見えなかったり。しかしそれでも、「こんな動物がかつて存在し、人間がそれを触ったりした。けれどその動物は滅んでしまってもういない」ということが強烈に伝わり、喪失感がかきたてられる。写真というメディアのもつ感情喚起力がよく発揮されていると思う。

 フクロオオカミは、背中から尻にかけて縞模様があるが、顔も体つきもほぼオオカミかイヌだ。しかし実際はイヌの仲間とは近縁ではなく、有袋類である。18世紀には家畜の敵とみなされてかたっぱしから狩られ、19世紀後半になると珍獣として世界の動物園が展示した。そこから絶滅まではすぐだった。この本には動物園での写真がたくさん載っているが、彼らはそこで子も育てているし、人になれて餌をねだる姿も見せていて、生命力がおとろえているようには見えない。でも絶滅したのは、研究者にとってさえ「取るに足らない」動物だったからだという。価値のモノサシはなんと短命なものか。

 夜中に一人で聴くのは怖いと言われた独特の笑い声(のような鳴き声)をたてたワライフクロウ、写真の中では人の頭や腕にとまって楽しげなハシジロキツツキ、愛らしい青い小鳥マリアナヒラハシ。絶滅への道すじはそれぞれ違うが、「もういない」悲しみはどれも同じだ。

 この世界とは、もう二度と会えないものたちを思い出す場所なのだ。いなくなったものたちの存在感だけが、そよ風のように頼りなくただよっている。

新潮社 週刊新潮
2018年10月25日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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