『両方になる』
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15世紀イタリアの画家と21世紀の英国少女、二つの視点が交わる秀作
[レビュアー] 武田将明(東京大学准教授・評論家)
十五世紀イタリアで活動した画家、フランチェスコ・デル・コッサ。その代表作、エステ家の宮殿を飾る壁画は時代の波に呑まれて忘却されたが、四百年後に再発見された。しかもこの壁画の作者がフランチェスコだと判明するのはさらに後、依頼主に賃上げを求める手紙が発見されたときだった。
本書の半分では、この画家が幽霊となって人生を回顧し、生前に隠していた秘密を告げる。女性として生まれたフランチェスコは、職業画家になるために男性のふりをしなければならなかったのだ。また、壁画に依頼主への諷刺を紛れ込ませる反骨心を持つ彼女の死は、謎に包まれている。
フランチェスコの幽霊は、なぜか現代のイギリスをさまようのだが、彼女が観察している少女ジョージを主人公にした物語が本書の残り半分を構成する。彼女の母は経済学者だが、インターネットで政治諷刺をする活動家としても知られていた。この母を前年に「抗生剤のアレルギー反応」という不審な原因で亡くしたジョージは、母の死に関わっているかもしれない怪しい女性を密かに観察し、母の愛した画家フランチェスコについて、唯一の親友ヘレナと一緒に調査する。
本書にはフランチェスコの章を前に置く版とジョージの章を前にした版の二種類が刊行されている。前者を読めば、悲運の画家の幽霊が少女の哀しみを見つめる物語が前面に出るし、後者を読めば、少女が謎の画家を女性に見立てた創作という印象が強まるだろう。
ここで、どちらが正しい読みかを問うのは的はずれである。むしろ大事なのは「両方であること」の可能性に目を開くことだ。過去と現在、女性と男性、虚構と現実の重なり合いから立ち現れる、芸術の自由と生き方の多様性。そしてそれを恐れ、抹殺しようとする権力と社会。この古くて新しい主題が、豊かな詩情と鋭い批評を兼ね備えた本書を貫いている。