『親しい友人たち』
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湘南の“孤独な海”を描いた山川方夫
[レビュアー] 川本三郎(評論家)
【前回の文庫双六】没後34年を経て発表 カミュ“自伝”の遺作――野崎歓
https://www.bookbang.jp/review/article/559818
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カミュは一九六〇年一月に自動車事故で亡くなった。四十六歳。その五年後の一九六五年の二月、やはり自動車事故で亡くなった日本の作家がいる。
山川方夫(まさお)。自宅に近い神奈川県二宮駅の前で車に轢かれた。三十四歳。これからが期待される矢先のあまりに若い死だった。
それでも山川方夫の人気は今でも高く、文庫本が四冊も健在。喜ばしい。
個人的にも短篇作家として永井龍男と山川方夫は別格の存在。若き日に読んだ『親しい友人たち』(講談社、一九六三年)はいまでも大事にしている。
その死の衝撃はよく憶えている。東京オリンピックのあと、大学一年の冬だった。語学教室で隣りに座る、二宮から通ってくる友人(のちの政治学者、橘川俊忠)が悲痛な顔で「山川方夫が死んだ」と告げた。
彼とはよく山川方夫の話をしていた。当時はショートショートと評されていたが、山川方夫の魅力は「お守り」が「ライフ」誌に掲載されたことで分かるように当時の日本では珍しい都会的センスがあったこと。
しゃれていたというより、都市のなかのひんやりとした孤独を突き放すような醒めた目で描いていた。いまにして思えば「ニューヨーカー」派の短篇の名手ジョン・チーヴァーに通じる品の良さがあった。
没後、一九七〇年代になって、いまはない冬樹社(とうじゅしゃ)から全五巻の全集が出た。山川好きには宝物だった。
これも私事になり申訳ないのだが、私の文芸評論家としての最初の本は『同時代を生きる「気分」』(一九七七年)。出版元は冬樹社。
『山川方夫全集』と同じ出版社から自分の本が出る。どんなにうれしく誇らしかったことか。
相模湾に面した海の町、二宮で暮したためか、海が好きな作家だった。ただ明るい湘南の海を描きながら山川の海には寂しさがあった。孤独な海だった。
永井龍男論にある言葉「美しい陶器のように孤独」は山川文学そのもの。