様々な文化に寛容でい続けるには
[レビュアー] 都甲幸治(翻訳家・早稲田大学教授)
自分自身であり続けるって、こんなに難しいことなんだ。十二歳のとき、父親の仕事の都合でオーストラリアにやって来た真人(まさと)は、マットと名前を変えて現地に溶け込もうとする。けれども上手くはいかない。高校生になった彼に立ち塞がるのが、転校生であるもう一人のマットだ。
彼は真人を「ジャップ」と罵り、蔑みの目を向け、教師に隠れて彼に暴力を振う。ついにこっそり真人の自転車に小便をかけていることがわかると、彼は我慢できずにマットを殴りつけてしまう。
マットはただの人種差別主義者ではない。太平洋戦争中、ダーウィンの街を攻撃した日本軍はマットの祖父の人生をめちゃくちゃにした。その怒りを注ぎ込まれて育ったマットは、全ての日本人に対して強い嫌悪感を抱いているのだ。
事情を知った真人は複雑な心境に陥る。確かに歴史を知らなかった自分も悪い。だがかつての日本軍と自分を同一視して憎む、というマットの姿勢はあまりにも無理解、かつ暴力的ではないか。「ジャップ」という差別語は真人の心の中で響き続け、彼から生きる力を奪っていく。
岩城けいは一貫して、オーストラリアに住む移民がどういう心境の変化を通過するかを描いてきた。複数の文化を生きることの血を吐くような苦しみと喜びを、日本語でここまで書いている作家はいない。
マットに対して真人は思う。「ひとつの名前だけでなんでも済んで、ひとつの言葉だけを操って他の言葉に操られたことなんかなくて、ひとつの国、自分の国だけでぬくぬく生きてきたあいつなんかに、これだけは、絶対に文句言わせない」。そしてこの言葉は、日本に住む我々にも突き刺さる。
ホロコーストを生き延びた老人、自殺する中国人の級友など、様々な人々と出会いながら真人は考え続ける。そして、どうしたら寛容でい続けることが出来るのかを学ぶ。彼の気づきは我々にとっても貴重だ。