『八木重吉詩画集』
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夭折、文学者、湘南の三つから連想したのは
[レビュアー] 梯久美子(ノンフィクション作家)
【前回の文庫双六】湘南の“孤独な海”を描いた山川方夫――川本三郎
https://www.bookbang.jp/review/article/560217
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34歳の若さで亡くなった山川方夫(まさお)。相模湾に面した二宮で暮らし、その駅の前で車に轢かれた。〈明るい湘南の海を描きながら山川の海には寂しさがあった〉と前回の川本三郎氏の文章にある。
夭折、文学者、湘南。三つのキーワードから連想したのは、かつて茅ケ崎にあった南湖院(なんこいん)である。
明治32年に開設された南湖院は、東洋一といわれた結核療養施設である(昭和20年に閉院)。ここで療養生活を送った人の中には著名人も多く、文学者では落合直文、国木田独歩、佐藤惣之助、大手拓次、坪田譲治、中里介山などがいる。
健康を取り戻して社会復帰した人もいるが、若くして亡くなった人もいる。28歳で入院した詩人の八木重吉は、その翌年、29歳で世を去った。
重吉はその短い人生の中で、結晶のような詩を数多く生み出した。有名な作品に、「素朴な琴」がある。
〈この明(あか)るさのなかへ/ひとつの素朴な琴をおけば/秋の美しさに耐えかね(て)/琴はしずかに鳴りいだすだろう〉
重吉は南湖院から、妻に繰り返し葉書を書いた。
〈富子、富子、待ってゐる。/早くお前に逢ひたい。/是非早く来て呉れ/キット来い〉〈私は貴重な一時間/\をお前のそばにしじゆうゐたい。/富子、私はお前に逢ひたい〉
妻が柏市の家から鉄道と人力車を乗りついで見舞いに来ると、重吉は家に置いてきた子供たちが泣いているのではないかと案じ、短時間で「もう帰れ」と命じた。だが妻が家に戻ると、追いかけるように、すぐに面会に来いという葉書が届いたという。
重吉はクリスチャンとして信仰に生き、孤独を愛したが、その孤独に耐えられず、しばしば妻に甘えた。死の翌年に刊行された詩集『貧しき信徒』にはこんな詩がある。
〈かなしみを乳房のようにまさぐり/かなしみをはなれたら死のうとしてゐる〉(「かなしみ」)