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快感に満ちた欺瞞でもある「異類」と「異類」が結びつく
[レビュアー] 倉本さおり(書評家、ライター)
人が人ならざる者と結ばれる――異類婚と呼ばれる昔話の類型には、当時の「結婚」や「夫婦」、あるいは「社会」そのものにまつわるひずみが意外な姿で反映されている点が面白い。その感覚を鮮やかな形でアップデートし、みごと芥川賞を受賞した快作が本谷有希子の『異類婚姻譚』だ。
表題作の語り手の〈私〉は仕事に疲弊し、安穏な生活を得るために結婚に飛びついた専業主婦。子供はまだいないし、面倒な家事はハイテク家電がほとんどやってくれる。望んで手にした楽チン生活だけれど、人生ズルしているようで、どこか後ろめたさも拭えない。そんな折、写真に写った自分の顔が夫の顔とそっくりになっていることに気がつき愕然とする。焦り始める〈私〉をよそに、夫は会社をサボって家に閉じこもるようになり、のっぺりと虚ろな異形の姿に化していく。
「結婚」の名の下に、他人同士が当たり前のようにひとまとまりに扱われる――それは他者の視線に晒されるストレスが激増した現代においては、息苦しさであると同時に、快楽に満ちた欺瞞でもある。奇妙に風通しのいいラストの光景がもたらすものは、この先を生きる私たち次第でころころと変じていくのだろう。
同じ芥川賞を25年前に受賞した多和田葉子『犬婿入り』(講談社文庫)の表題作は、犬のようなふるまい――主人公を空中に持ち上げ肛門をペロンペロンと舐めたりする男(!)との交わりを綴った奇作。とはいえ本作のポイントは、ひとりで学習塾を経営する主人公の女性こそがその土地のコミュニティにおいて「異類」に属する点だろう。リズミカルで魔術的な語り口に乗せられるうち、常識の枷から解き放たれていく快感がある。
一方、伴侶に先立たれてしまった後で、自分の知らない姿にはじめて出会うということもある。中島京子の『妻が椎茸だったころ』(講談社文庫)に収められた表題作は、そのささやかな奇跡をふっくらと煮含めた逸品だ。言葉は時間を抱き込める――そこに息づくのは、信頼がもたらす静かであたたかな力だ。