『ぐうたら生活入門』
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柿生の里で“脱力のすすめ”狐狸庵先生
[レビュアー] 野崎歓(仏文学者・東京大学教授)
三浦しをんの「まほろ市」のモデルとなった町田市。そこに長らく暮らした作家が遠藤周作である。最寄り駅は小田急線の玉川学園前だったようだ。
しかし読者にとって、遠藤の住みかといえば柿生(かきお)の里。『狐狸庵閑話』や『ぐうたら生活入門』で彼が演じて見せた、柿生の里に庵を結び、万年床でだらだらと怠けている超俗の人(?)というイメージは、かつて多くの青少年たちにぐうたら生活への憧れをかきたてたものだった。
『狐狸庵閑話』の口絵には「お仕事中の狐狸庵山人」として、ふとんに入ったまま書を読む作者の写真が掲げられていた。茶人のような渋い帽子に、長い白髭という扮装である。
そんなおふざけぶりが、当時中学生だったぼくなどにはずいぶん粋なものと思えたのである。世をすねるポーズを嬉々として演じる様子が魅力的だった。
もちろん、狐狸庵先生のエッセーがかもしだす味わいにも惹かれた。まだ40歳半ばなのに、いかにも爺さんくさい口ぶりで「人生の寂寞(せきばく)」を語る。諸君、駄犬を飼いたまえ、駄犬が「うしろ脚で立って」「力む表情」こそは人間の哀しさをうつす鏡であるぞ云々。生理現象をはじめとする、いじましくカッコ悪い部分にこそ山人は「人間の臭い」を嗅ぎ取り、「人間みなおんなじ」という真理をつかみ出すのだ。
草廬(そうろ)に隠居したからといって、孤高の気配は皆無、日録は作家仲間の奇人変人たちとのつきあいに彩られている。軽井沢での一夏、ドクトル・マンボウを相手取っての「ケチ合戦」が面白い。毎晩現れて「ぼく、すぐ失敬します」といいながらきっちり夕餉と晩酌をすませていくマンボウ氏、好敵手というほかはない。
狐狸庵先生の脱力のすすめをよほど真剣に受け止めたものか、ぼくはついに柿生の里にファンレターを書き送った。お返事がなかったところを見ると、先生は意外にご多忙だったのだろう。