「多和田葉子」短篇集 慣用を逸脱する言葉たち

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

穴あきエフの初恋祭り

『穴あきエフの初恋祭り』

著者
多和田 葉子 [著]
出版社
文藝春秋
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784163909172
発売日
2018/10/18
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

“言葉”によって世界に“穴”を穿つ七つの短篇集

[レビュアー] 武田将明(東京大学准教授・評論家)

 多和田葉子の作品では、常に言葉と物の関係が問い直されているが、七つの短篇を収めた本書も例外ではない。それは何よりもこのタイトルから伝わるだろう。「初恋祭り」も少し変だが、「穴あきエフ」とは? 本篇を繙(ひもと)けば、ここに作品の舞台であるキエフと、拙速な開発を進める行政府に抵抗するアナーキーな芸術家たちが隠れているのに気づく。

 このように、本書の言葉はしばしば慣用を逸脱する。だがそれがコミュニケーション障害の手前に留まることで、ありふれた物事が新鮮に見えてくる。

 コミュニケーションといえば、本書には現代の通信状況への諷刺が頻出する。「胡蝶、カリフォルニアに舞う」におけるカスタマーサービス電話のカオス。「鼻の虫」の携帯電話を包装する工場の不気味さ。「てんてんはんそく」におけるネット契約の煩雑さ。過剰な情報の波に呑まれ、現実感を喪失した個人は、包み紙か胡蝶のように軽く儚(はかな)い。

 この虚無と閉塞感から逃走するために、本書は通信の基本ツールである言葉を偶然性、即興性へと開くのだ。「ミス転換の不思議な赤」では、「眼球」ならぬ「顔球」が迫り、「怒り」は「錨」の重さを帯び、「魂」も「玉C」なるモノと化すことで、現実が生々しさを回復する。この点で、本書がしばしば手紙や郵便という旧来の通信手段を登場させ、誤配に可能性を見出していることも興味深い。

 ゆえに、本書における祝祭的な言葉遣いには、現状への批評が込められている。言葉によって世界に穴を穿つこと。すると「穴あきエフ」の「穴あき」は、単なる言葉遊びではないのだろう。では「エフ(F)」は? ぜひ実際に読んで想像を広げていただきたい。

 結果として本書では、男女のすれ違い、労働者の疎外感、思春期の憂鬱、初恋のときめきなど、近代文学の定型とも言える主題が、みずみずしく再生している。灰色の世界に色彩を甦らせた、魔法のような一冊。

新潮社 週刊新潮
2018年11月29日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク