保守とは失われた常識を取り戻す動き――小林秀雄の警告

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小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか?

『小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか?』

著者
適菜 収 [著]
出版社
講談社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784065137338
発売日
2018/10/20
価格
924円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

常識が失われた時代に考えたい保守主義の本質

[レビュアー] 碓井広義(メディア文化評論家)

 かつて高校の国語教師をしていたことがある。教科書には小林秀雄の文章も載っていたが、教えるのに難渋した記憶ばかりで、作品名さえ覚えていない。もしも当時、適菜収『小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか?』が出版されていたら随分助かったはずだ。

 キーワードは「近代」である。何でも論理的、合理的、理性的に説明するのが近代の精神だ。一方、小林が扱ったのは、解釈によって切り捨てることができない「経験」であり、概念の背後にある世界だった。

 たとえば近代においては個性や独自性が尊ばれる。しかし小林はモーツァルトを「訓練と模倣とを教養の根幹とする演奏家」と呼び、ものまねを極めることから独創が生まれるとした。教育についても、「自由と教育とは矛盾した言葉」であり、教育とは「厳格な訓練」だと言い切っている。

 さらに興味深いのは「保守」と政治についてだ。著者によれば、「小林は本質的な保守主義者」だった。保守主義とは、「常識」が失われた時代に「常識」を取り戻そうとする動きだ。

 そして保守主義の本質は人間理性に対する懐疑であり、保守主義者は自身の判断さえ確信することはない。自らが信じる道を「断固として突き進む」と繰り返す政治家など、実は保守の対極にいることがわかる。

 小林がヒトラーについて書いた、「本当を言えば、大衆は侮蔑されたがっている。支配されたがっている」という言葉がリアリティをもって甦ってきた。

新潮社 週刊新潮
2018年11月29日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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