【文庫双六】「菊地寛」を怒らせた小島政二郎の“癖”――川本三郎

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眼中の人

『眼中の人』

著者
小島 政二郎 [著]
出版社
岩波書店
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784003114711
発売日
1995/04/17
価格
770円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「菊池寛」を怒らせた小島政二郎の“癖”

[レビュアー] 川本三郎(評論家)

 野崎歓さんが、中学生の時に愛読する狐狸庵先生こと遠藤周作にファンレターを出したという思い出は楽しい(残念ながら返事はもらえなかったそうだが)。

 野崎歓さんはこの八月に『水の匂いがするようだ 井伏鱒二のほうへ』(集英社)という素晴しい文芸批評を出された。井伏鱒二を言葉の実験者ととらえる。これまであまり語られなかった視点が新鮮。

 この井伏鱒二、中学生の時に大作家に手紙を出したことがある。「悪戯」という文章で書いている。

 なんと恐れ多くも文豪、森鴎外先生に。鴎外の『伊沢蘭軒』の史実に疑義があると指摘した。さすがに本名を名乗る勇気はなく、架空の人物の名で出した。

 鴎外は大人の読者からの手紙と思い、返事を書き、自分は間違っていないと反論した。そこで恐縮した井伏はこんどは本名で、先に手紙を書いた人物はそのあと死去したと言い繕った。

 明治の文豪に「悪戯」をしたことになる。文学史に残る「悪戯」といえよう。

 作家は読者から間違いの指摘をされると気になるもの。鴎外も未知の読者にすぐに反駁した。

 小島政二郎の『眼中の人』は、若き日、芥川龍之介や菊池寛と交流した回想記。

 小島政二郎には、作家の本を読んで字の間違いを見つけると手紙を出してそれを指摘する癖があった。

 ある時、菊池寛の本のなかに誤字や誤植を見つけ、早速、手紙を書いた。

 すると菊池寛からこんな返事が来た。「君はそんな人のアラばかり探しているからろくな小説が書けないんだよ」。

 これに「私」は怒る。「森鴎外ですら、同じような場合に、『小島学兄』と書いた礼手紙をくれた。それが礼儀ではあるまいか」。

 小島の言い分ももっともだが、誤字や誤植だけを注意されて不愉快に思った菊池寛の気持も分かる。

 小島はさらに「寛」の字は正しくは「寛」と点が入ると指摘。またしても「寛」を怒らせてしまった。

新潮社 週刊新潮
2018年11月29日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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