奇跡の泉は現代人に何をもたらすか

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奇跡の泉は現代人に何をもたらすか――【書評】『信仰と医学 聖地ルルドをめぐる省察』帚木蓬生

[レビュアー] 小倉孝誠(慶応大教授)

 フランス・ピレネー山脈の麓に、ルルドという町がある。一八五八年のある事件をきっかけにして、その名は世界中に響きわたることになった。この年二月、ベルナデットという貧しい十四歳の少女の前に聖母マリアが姿を現わしたのである。その後、ルルドはカトリックの一大聖地に発展していく。

 ルルドで、正確にはいったい何が起こったのか? どのようにして町は聖地になったのか? 奇跡はいかにして検証されるのか? 本書は、作家にして精神科医である著者が「信仰と医学」という観点から、これらの問いに答えようとした野心作である。出発点にあるのは、著者自身のルルド体験だ。帚木氏はある年ルルドの医療施設を正式に訪問し、地下聖堂で聖体拝受をし、巡礼者たちの行列に参加するという体験をして、ルルド独特のオーラを感じたのである。

 一八五八年二月から七月にかけて、計十八回、ベルナデットは洞窟の中で、「白い服の美しい女の人」を見る。姿はベルナデットにしか見えず、声もまた彼女にしか聞こえないから、当初は誰も信じなかった。やがて、近くに湧いた泉の水が病を癒やす奇跡が起こると、周囲の反応は一変する。それを決定づけたのは、白い服の女が「私は無原罪のお宿りです」と答えたことだ。カトリックの重要な教義の一つであり、これによってベルナデットが見た女性は聖母マリアということになった。

 四年後、タルブの司教が教書を出して聖母マリアの顕現を教会当局として認知し、礼拝堂の建立が決定される。一九一三年には、法王ピウス十世が、ルルドを聖母マリア崇拝の中心と定めた。こうしてルルドは、カトリックの聖地に変貌したのである。

 しかし奇跡を見た少女のその後は、けっして幸福な人生ではなかった。一躍時の人になったベルナデットが好奇の目にさらされることを恐れた教会側は、彼女をフランス中部の町ヌヴェールの修道院に送り込んだ。世間から隠れるように暮らし、重い喘息に苦しみながら、ひっそりと昇天したのは三十五歳の時である。

 ルルドの奇跡はしばしば文学の素材になった。その代表はゾラの『ルルド』という小説。作家は重い病に苦しむ娘マリーと、彼女に付き添うフロマン神父を登場させ、ルルド巡礼団の旅を壮大なスケールで語ってみせる。マリーの病は奇跡的に治癒するが、ルルドを支配するカトリック当局に対してゾラは辛辣な批判を加えた。

 著者が深く考察するのは、治癒の奇跡である。ルルドにはまず医学検証所、そして一九五四年にはルルド国際医学評議会が設立され、治癒がほんとうに奇跡かどうか精査する。病が重篤なこと、それまでの治療法は効果がなかったこと、ルルドでの治癒が瞬間的なこと、後遺症がないことなど、奇跡と認定されるまでのハードルは高い。それでもこれまで、七十例の奇跡の治癒が公式に認められている。快復した人の年齢層は多様だが、八割以上が女性である! 女性のほうが神の恩寵に恵まれているのだろう。一番最近の奇跡(二〇一八年に認定)の当事者は、ベルナデット・モリオという修道女。そう、奇しくもあのルルドの少女と同じ名前である。

 著者は、治癒はプラセボ効果なのかと問う。奇跡の治癒の条件には、プラセボ効果で説明できるものが含まれる。しかし、きわめて重篤だった病が、医学的知識では解明できない状況で瞬時に癒えるという事実は、それだけでは説明できない。ルルドでは医学と宗教が共生し、補完しあっている。病人とケア従事者との一体感の中で、病人は病によって失いつつあった人間性を回復し、その他の苦悩も消えていく。そこでは赦しと寛容にあふれた体験がなされる。それが年間五百万人もの巡礼者を引きつけるのである。

 本書を読んで、ルルドに旅したくなる読者がいるだろう。観光旅行とは一味違う異空間への旅だが、夏に赴けば明るい南仏の太陽と青空が迎えてくれるはずである。

 ◇角川選書

KADOKAWA 本の旅人
2018年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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