ミステリの枠を超えた物語世界――生馬直樹『偽りのラストパス』

レビュー

5
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偽りのラストパス

『偽りのラストパス』

著者
生馬 直樹 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103506621
発売日
2018/11/22
価格
1,836円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

ミステリの枠を超えた物語世界

[レビュアー] 吉田伸子(書評家)

 本書は、『夏をなくした少年たち』で第三回新潮ミステリー大賞を受賞してデビューされた生馬さんの、受賞後第一作である。デビュー作とそれに続く本書とで、生馬さんの物語世界の志向性が見えてきたように思う。

 物語は、生死の境をさまよう男の場面で幕をあける。夜の公園、その片隅で、もがき苦しみ死の予感に怯えるその男が絶命するまで。ここから一転して、第1章が始まる。

「バスケットボールは音のスポーツだ、と見原陽司はときどき思う」

 この書き出しの鮮やかさは、『夏をなくした少年たち』の冒頭で、主人公が思う、「――そうか。結局、死んだのか」に通じるものがある。なんというか、読者を一気に物語へと誘う力があるのだ。バスケットボールは音のスポーツだ、というその一文で、読者の脳裏にはくっきりとバスケットコートが、体育館に響くボールの音が、そのボールを追う足音までもが浮かんでくる。見原陽司というのは本書の主人公で、バスケットボール部に所属する長岡第弐中学の二年生。幼馴染の木内英生と二人で、小学生のころから二人でバスケットボールを追いかけて来た。小学生のころは陽司のほうが活発で自己主張も強く、英生はおとなしく引っ込み思案だったのに、今では二人のキャラは逆転。思ったことはバンバン口にし、納得がいかないと先輩や教師相手でも引かない英生と、寡黙な陽司。

 陽司が寡黙になったのは、三年前、交通事故で亡くなった父親のこともあるのかもしれない。赤信号で停止していた父親の車は、大型トラックに追突されて前方にはじき出され、他の車とも衝突をした。陽司の父親は頭を打って即死だった。加えて、その時、陽司の父親の隣には母親の昌枝とは別の女性が座っていて、その女性もまた即死だった。そのことが母親の心に小さな罅を入れたことを、陽司は知っている。「父の事故死。あのときから、見原家の先行きはいつだって『くもり』だった」陽司は、そう思っている。

 陽司には弟が一人いるのだが、その弟・良哉は、三年前、父親が死んだタイミングで若年性突発性関節炎を発症。検査の結果、「治るだろうけれどやはり時間はかかる」という診断が下り、以来、良哉は薬物療法を続けつつ、激しい運動は控えるという生活を送っている。運動会やマラソン大会、陸上や野球、ミニバスはほとんど不参加。そんな良哉に対して、バスケットに打ち込む自分をどことなく後ろめたく感じる陽司だったが、そんな自分を真っ直ぐに応援してくれるのもまた良哉であり、病気が完全に治ったら、バスケを教えてくれ、という良哉の存在は、陽司にとって大きな原動力になっていた。

 陽司と良哉、そして昌枝の三人。つつましやかではあるものの、穏やかな日々。父親の死亡保険金と事故の損害賠償金とで支えられている見原家の生活だが、それに加え昌枝は昼のパートと夜も週三でスナックのアルバイトをしている。父の死後、変わったことといえば、それまでは人付き合いに苦心していた昌枝が、スナックで働く女性たちを、時おり自宅に泊まらせるようになったことだ。後から思えば、そのことが全ての始まりだった。ある時、昌枝のバイト先のスナックのオーナーで、昌枝と「お付き合いしている人」である半田に、知人の甥で昌枝の同僚である小金井進を、しばらくの間預かって欲しいと請われ、引き受けた昌枝だったが……。

 見原家に進という異分子が入り込むことで巻き起こるあれこれ。ささやかでも幸せだった家族に、不穏な影が射し出すそのくだりは読んでいて思わずはらはらしてしまう。けれど、本書の“肝”は何と言っても陽司の日常にある。バスケ部でのドラマ――突出したワンマンプレーヤーゆえに孤立してしまう先輩や、その先輩をめぐる部内での確執――や、微笑ましくさえ感じてしまう陽司の“初恋”、英生との友情、等々、読んでいると思わず自分の中学生時代が浮かんできてしまうほどだ。

『夏をなくした少年たち』も同様だったのだが、本書もまた、陽司をはじめ、良哉、英生はもちろんのこと、バスケ部の仲間たち、他中学のバスケ部員たち、登場人物それぞれの輪郭がくっきりとしているのがいい。登場する場面は少しでも、物語の中の単なる“駒”ではない、というところがいい。だからこそ、読み手は物語世界にぐいぐいと引き込まれてしまうのだ。

 もちろん、冒頭に絶命する男がいて、その“事件”の謎と謎解きがあるのだから、本書がミステリであることは間違いない。けれど、単にミステリという枠に収まらない読み心地というか、“読み応え”が本書にはあって、その“読み応え”こそが、作者である生馬さんの志向性なのではないか。読後、読者の胸に、「秀逸なミステリ」としてのみ残るのではなく、「秀逸な物語」としても残ること。それが生馬さんの物語世界の根っこの部分にあるのではないか。同時に、その物語の内容が、読み手の心にフックとなって刺さること、も。生馬さんの二作目を読み終えた今、そんな気がしてならない。

新潮社 波
2018年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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