『戦国の城の一生』
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<東北の本棚>再利用時代を超え考察
[レビュアー] 河北新報
お城巡りのブームと並行して城郭研究が新段階を迎えた。従来の考古学や平面プランを検討する縄張(なわばり)研究は、活用を終えた戦国時代後半から近世初期を検討することが多かったという。全国に数万あるとされる城跡について時代を超えた全体像を考察しようと、歴史学者の著者は史料調査に基づいて築城、維持管理、廃城から再利用に至る「城の一生」に迫った。
越前朝倉家に伝わった「築城記」は具体情報が44カ条にわたって書かれ名高い。塀、やぐらなどの高さや幅を定め、「土塁の内側に木を植えてしかるべし」と記す。堅固で実用的な城を目指したと分かる。城を築く場所として政治的、軍事的な重要性にとどまらず、信仰の対象地を選び、聖地化する事例もあった。
災害対策では地震より大雨や暴風の記述が多い。陸奥赤坂城(福島県鮫川村)は大雨で一部が崩れ、再建を諦めて尾根続きの場所に新築した。城兵同士の交流では飲み会がお決まりのパターン。ばくち、乱舞、小唄などを楽しみ、軍事的な緊張の中でも息抜きの時間があった。
領国の拡大や縮小に伴い、城は整理された。土塁を崩して堀や石垣を残すことが多く、古城の一部は再利用された。藤崎城(青森県藤崎町)は1567年、大浦氏と南部氏の争いが激化したため約200年ぶりに再興された。仙台藩祖の伊達政宗が1600年、家臣に出した手紙からは、古城の近辺に家臣を居住させ、状況に応じて配置転換したことが分かる。村人が命や財産を守るため古城を再利用する「村の城」と呼ばれるケースも興味深い。
明治期は多くの城が壊された一方、太平洋戦争後は地域の象徴として復元の動きが進んだ。現代でも古城の再利用が続いていることに気付かされる。
著者は1982年東京都生まれ。東北学院大准教授。主著は「織豊政権と東国社会」。
吉川弘文館03(3813)9151=1836円。