失踪した父とともに消えた自転車を追い、複雑な過去が描かれる

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失踪した父とともに消えた自転車を追い、複雑な過去が描かれる

[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

 二十年前に失踪した父とともに消えた自転車。小説家でもありライターでもある主人公は、古ぼけた自転車の行方を追ううちに、台北のごみごみした雑踏をいつしか抜け出し、戦時下の東南アジアのジャングルへといざなわれる。

 かつて、自転車は庶民には高価なものだった。皮肉なことに、父が乗っていたのは、「幸福号に乗って、幸福の道をどこまでも」という広告で知られた自転車だ。五番目の娘が養女に出されようとするのを母が必死で追いかけたり、病気になった主人公を診療所まで運んだりして、自転車は家族の思い出と抜きがたく結びついていた。だが、父の失踪で思い出には穴が開いた状態になっている。

 同じ型の自転車を探すつもりが、主人公は、父のものだった自転車に簡単にたどり着く。いささか早すぎるゴールに思えるが、旅の始まりはここからだ。コレクター仲間のつてをたどって連絡を取ろうとするが、なかなか持ち主には会うことができない。

 自転車探しの過程で出会う人々から受け取る物語が世界を広げる。日本統治下から現代まで、台湾に暮らす、さまざまなエスニックグループがそこには含まれる。消えた自転車は一台ではなく、会っていない人からもメールで物語が送られてきたりする。戦争中の銀輪部隊や、兵士と行動をともにしたゾウたちの物語など、物語どうしが樹木の根やクモの巣のように絡み合い、複雑な過去が描き出されていく。過去も現在も、「辻政信」や「田村正和」といった固有名詞が当たり前に出てきてドキリとさせられる。

 本書はイギリスの国際ブッカー賞の候補になった。翻訳者の天野氏は、同じ著者の『歩道橋の魔術師』や陳浩基『13・67』など数々の現代文学を日本にいち早く紹介してきた人だが、残念ながら本書の刊行直後に亡くなられたことも付記しておきたい。

新潮社 週刊新潮
2018年12月20日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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