悪意によって壊された人生に対峙する「私立探偵」
[レビュアー] 杉江松恋(書評家)
白い生地につけられた黒いしみ。
暴力とはそのようなもので、他人の心を、日々の幸せを、いともたやすく壊し、奪ってしまう。
そうした残酷な事実を物語として描くため、宮部みゆきは杉村三郎という主人公を生み出した。私立探偵である彼は、ひとびとが負わされた心の傷を間近で見つめ続ける。
杉村三郎シリーズの最新作『昨日がなければ明日もない』は、三作を収めた中篇集である。平凡な会社員だった杉村は、いくつかの事件に関わったことがきっかけで私立探偵の道を選んだ。前作『希望荘』では、ついに探偵事務所の看板を掲げることになった。一本立ちした彼が、本書で最初の試練を迎えるのである。
巻頭の「絶対零度」で依頼人になるのは、自殺未遂をして入院した娘と連絡が取れずにいる女性だ。娘の夫が頑強に面会を拒むのだという。調査を開始した杉村は、事態の背景に醜い人間関係があることを知る。
次の「華燭」では、事務所の大家である竹中夫人に頼まれた杉村が、結婚式に付き添いとして出席することになる。そこで一行を待ち受けていたのは、困惑して立ち尽くす参列者たちという、おめでたい会場にはふさわしくない光景だった。
いずれの話でも杉村は、悪意によって壊された人生を目撃することになる。三つの暴力についての作品集だとも言えるだろう。目に見える形で振るわれるもの、無自覚、もしくは心の未熟さゆえに相手を傷つけてしまう行為など、その種類はさまざまだ。各話とも巻き込まれるのが女性という共通点がある。
巻末に置かれた表題作は、読者の胸に重いものを残していくはずだ。若い女性から依頼を受けることになった杉村は、ある人物が心ない振る舞いを続けたためにこじれ切った家族の形を目の当たりにする。それによって彼は人の心を救う難しさを知るのである。不気味に口を開けた人生の陥穽を前に、探偵は立ち尽くす。