【文庫双六】なぜ水辺は、そして魚はかくも人を引きつけるのか――野崎歓

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なぜ水辺は、そして魚はかくも人を引きつけるのか

[レビュアー] 野崎歓(仏文学者・東京大学教授)

 少年のころも、長じて作家となってからも、川と釣りを愛してやまない。川上健一のみならずそんな作家が多々いる。なぜ水辺は、そして魚は、人をかくも引きつけ、癒してくれるのか。

 アメリカ人科学者の書いた一冊が、その理由を壮大な規模で、科学的に解き明かしてくれる。

 著者は古生物学者にして解剖学者であり、DNAを使った実験を行うゲノムサイエンティストでもある。北極圏に合宿しての発掘調査と、研究室に閉じこもっての実験。彼にとってはいずれもが、タイムマシンに乗って人間の「内なる系統樹」を何億年もさかのぼっていくための営みなのだ。

 平易な記述からくっきりと浮かび上がる事実、それは“われわれの内には魚がいる”ということである。水中から陸に上がってこようとした時期の魚類とわれわれの体は、驚くべき類似を示している。手首をもつ魚ティクターリクの化石の発見によって、著者の研究チームは太古の生物と人間が一本の道でつながっていることを実証した。

 魚の「ボディプラン(体制)」をもとに、たゆまぬ改造が加えられていった結果が人体なのである。ということは、もともと「八〇歳まで生き、一日一〇時間も尻をつけて座り、ケーキを食べるようには設計されていなかった」のだ。そこからわれわれはさまざまな病気を抱え込むこととなった。

 すいすい泳いでいた方が楽だっただろうに、なぜ魚は陸に上がったりしたのだろう? 太古の河川で魚たちは弱肉強食の戦いを強いられていた。より強大になって敵を倒すか、それとも逃げ出すか。われわれの祖先となったのは後者の道を選んだ魚たちだった。

 それから三億数千万年の時が流れ、地上暮らしに疲れた人間は水辺に佇んで憩いのひとときを得ている。とはいえもちろん、大昔の故郷に戻って暮らすことはもはや不可能なのである。人間とは根っから、無理に無理を重ねて生きていく定めであるらしい。

新潮社 週刊新潮
2018年12月20日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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