『平成くん、さようなら』 古市憲寿著

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平成くん、さようなら

『平成くん、さようなら』

著者
古市 憲寿 [著]
出版社
文藝春秋
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784163909233
発売日
2018/11/09
価格
1,512円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『平成くん、さようなら』 古市憲寿著

[レビュアー] 三浦瑠麗(国際政治学者・東京大講師)

倦怠の果てにある日常

 満たされないことへの不満が滓(おり)のように溜(た)まっていき、ゼラチン質のように「私」を包む。この小説は冒頭から、「セックスに責任を持つのは私たちであるべきだ」というくだりで読者を半ば強引に課題設定に乗っけてしまう。

 満たされないという気持ちは、中途半端に満たされているがゆえの倦怠(けんたい)だ。その倦怠は、平成とほぼ人生が重なってきた著者の実感でもあるだろう。人気者の文化人、「平成(ひとなり)くん」は自死を求めて逡巡(しゅんじゅん)する。彼が抱えている孤独は繊細でやるせないが、少なくとも私から見る限りはほんとうの孤独ではない。「私」、つまり平成くんの彼女の孤独はもう少し一般的な女の孤独だが、それゆえに日常に埋もれがちだ。

 このまま、ずうっとこんな日々が続いていくのかな――。平成という時代をこの小説が体現しているとしたら、それは「血なまぐささ」や「汗」といった肉感的なものへの嫌悪の傍らで、その実とても生々しいセックスや死をドライに淡々と記述していることなのかもしれない。

 何にも期待しないことで自己を守り、安楽に身を任せることで満たされない自我を慰める。そんな現代社会を描くために、著者は安楽死の近未来的フィクションと現実を交差させる。どぎつい事象が淡々と描かれていく様は、フィクションであるにもかかわらず、十分なリアリティーを読者に感じさせる。その奇妙なまでの説得力の背後にあるのは、著者の人間観察能力だ。

 ラストにおいて、平成くんが死を望むパーソナルな理由の告白にいたったとき、平成流のドライな肉感は、素朴で当たり前な日常の匂いを取り戻す。人との距離感やテクノロジーは、結局は人間の匂いを消しされないからだ。そこに私はつい微笑(ほほえ)んでしまう。これがたくらまれたことなのか、意図せざる表出なのかは分からない。いずれにしても、少しだけ自己を開陳した著者が、カーテンの陰からちらっとこちらを窺(うかが)っているような、そんな本である。

 ◇ふるいち・のりとし=1985年生まれ。社会学者。著書に『絶望の国の幸福な若者たち』など。

 文芸春秋 1400円

読売新聞
2018年12月16日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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