『野の春 流転の海第九部』 宮本輝著

レビュー

8
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野の春―流転の海 第九部―

『野の春―流転の海 第九部―』

著者
宮本輝 [著]
出版社
新潮社
ISBN
9784103325192
発売日
2018/10/31
価格
2,268円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『野の春 流転の海第九部』 宮本輝著

[レビュアー] 本郷恵子(中世史学者・東京大教授)

生ききった人の最期

 松坂熊吾、愛媛県南宇和の生まれ、昭和43年4月11日、大阪府にて死去、享年71。50歳で、はじめて子を授かり、伸仁と名づけたその子が20歳になるまでは絶対に死ねないと思っていた。著者が自分の父をモデルに、37年かけて執筆した大河小説の完結編である。

 本書は、熊吾が秘蔵の刀剣を売り、伸仁の大学入学のために負った借金を返済するところから始まる。伸仁は新設の追手門学院大学で、アルバイトで学資を稼ぎながら、学生生活を送っている。身体が弱く、成長できるかどうか危ぶまれた子供は、いつのまにかたくましく世間を渡る術(すべ)を身につけていた。

 熊吾は魅力的な人物である。そして彼の人生はどこまでも濃密だ。エネルギーに溢(あふ)れ、人情家で、学歴は無いが洞察力に富み、どうしようもなく衝動的で暴力的でもあった。

 だが、さすがの熊吾も70歳の声を聴いて、パワーが落ちている。さまざまな事業を起こし、成功とどん底を経験してきたが、残ったのは中古車屋一軒だけで、その資金繰りも苦しい。彼の言動は過去と響き合い、人生の伏線を回収する段階にきたことを示している。彼に世話になった者がかける言葉が深い。「大将は私をたっとんでくれたたったひとりの人です」

 対照的に、彼の周りの女たちはとても元気だ。彼にさんざん殴られてきた妻の房江は、ホテルの従業員食堂で働き、生来の能力を発揮している。狸憑(たぬきつ)きと蔑(さげす)まれていた妹のタネも、ひょんなことから持病が全快して、別人のように明晰(めいせき)になった。

 彼の最後の仕事は、愛人のためにお好み焼きのソースを試作することだった。それもまたご愛敬(あいきょう)で、そして息子に謝ろうとして果たせぬまま倒れてしまったのも、宿命の一環だろう。

 平成を通じて紡がれた物語が幕を閉じる。熊吾の葬儀は、桜の花びらの降るなかで行われた。生ききった人の最期はあかるい。

 ◇みやもと・てる=1947年生まれ。『泥の河』で太宰治賞、『螢川』で芥川賞を受賞。2010年、紫綬褒章受章。

 新潮社 2100円

読売新聞
2018年12月16日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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