『蜜のあわれ・われはうたえどもやぶれかぶれ』
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「魚眠洞」室生犀星の魚を描いた作品集
[レビュアー] 川本三郎(評論家)
【前回の文庫双六】なぜ水辺は、そして魚はかくも人を引きつけるのか――野崎歓
https://www.bookbang.jp/review/article/561861
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古生物学者によれば、遠い昔、魚と人間はきわめて近しい種族だったという。
野崎歓さんは、人間が水辺や魚に惹きつけられるのはそのためではないかと想像する。まさに「われわれの内には魚がいる」。
魚を愛した作家といえば室生犀星が随一だろう。自ら魚眠洞(ぎょみんどう)と号し、魚を主題にした詩や小説を数多く書いた。犀星の魚を描いた作品だけを集めた本もあるほど(矢川澄子編『日本幻想文学集成 室生犀星』(国書刊行会 一九九五年)。
なかでもよく知られているのは「蜜のあわれ」だろう。晩年、昭和三十四年に『新潮』に発表された。
「おじさま、お早うございます。」
「あ、お早う、好いご機嫌らしいね。」
こんな対話から始まる。全篇、対話だけで書かれているのが異色。
しかも、作者自身を思わせる「おじさま」に話しかけているのは金魚(正確には金魚の化身である少女)だから驚く。
この金魚、三歳になる。人間でいえば二十歳くらい。自分のことを「あたい」といい、なかなかのおしゃまで、老作家である「おじさま」に臆することなくお喋りを楽しむ。
「あたい」は電車に乗って丸ビルの歯医者に行ったり、「おじさま」の講演を聞きに行ったりする。
奇想天外。ユーモアもある。人と魚が渾然一体となっている。魚好きの犀星ならではの逸品。
本書収録のもうひとつの短篇「火の魚」(昭和三十四年)は、作者が『蜜のあわれ』を出版する時、折見とち子という装幀家(モデルは栃折久美子)に、表紙のために金魚の魚拓をとってもらう話。
この女性の父親は釣り好きで、釣った魚の大物は必ず魚拓にするほど。一年前、多摩川で釣りをしている時に脳溢血に襲われ、寝入るように亡くなった。魚にかえったといえようか。
本書には収録されていないが僧が鯉になる「魚になった興義(こうぎ)」も魚小説の秀作。