『穴あきエフの初恋祭り』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
穴あきエフの初恋祭り 多和田葉子著
[レビュアー] 師岡カリーマ(文筆家)
◆世界を再構築する巧みな「言葉」
「近寄るなという信号を送られれば誰でも錨(いかり)を感じる。かっとして(略)尖(とが)った錨を投げつけたくなる」「メロン色の西瓜(すいか)カードを使って改札を抜けると」「顔がべたべたして気持ち悪いのは、目ヤニのせいかもしれない。松は目がないのに、松ヤニではなく目ヤニを出し始めた」
こんな読み方は邪道かもしれない。でも覚えたての言葉で遊ぶ子どものような頑固さで全編にちりばめられた当て字や語呂合わせにニヤリとするたび、これらが実は、筋とはまた別の、どこか異次元への鍵なのではないかとワクワクしてしまう。
ふとこう思えてくる。言葉が知覚に先行するとしたら。たとえば「かなし」という響きを聞いて初めて、悲しみの正体を知るということがあるとしたら。同音異義の「錨」と「怒り」を同義で使う作者にとって言葉は世界を描くための手段ではなく、世界そのものを構成する細胞なのかもしれない。それを並べ替えることで、世界を再構築していく。独特でありながら圧倒的な説得力を持つ多和田ワールドの秘密は、そこにあるのではないか。だとしたら、言語の異なる人々の「悲しさ」は同じではないということか。
ドイツ語でも執筆するという作者同様、私も複数の言語で文章を書くが、私の場合、「私」と「世界」の関係において「言葉」は「私」の一部だ。他者である「世界」をうまい具合に捉えようと「言葉」は格闘する。一方、作者は「世界」の方が自らの構成要素から「言葉」を選んで彼女に語りかけるのではないかと思えるほど、苦労の痕跡が見えない巧みさで「言葉」との開かれた関係を愉(たの)しんでいるようだ。その愉悦は、冒頭から読者に伝染する。
ただし作者は随所で「言葉を信じるな」と突き放す。不誠実な手にかかれば、再構築された世界は妄想でしかない。千の文字を重ねても、人と人が手を握り合う瞬間の密度にはかなわない。デジタル化されて増殖し、価値を失った言葉が氾濫する時代だからこそ大切に読みたい本である。
(文芸春秋・1620円)
1960年生まれ。作家。ドイツ在住。著書『献灯使』『地球にちりばめられて』など。
◆もう1冊
多和田葉子著『献灯使』(講談社文庫)。全米図書賞翻訳文学部門の受賞作。