『童の神』で第160回直木賞候補! 時代小説界の若きエースによる、全方位向けエンターテインメント!!

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夏の戻り船 くらまし屋稼業

『夏の戻り船 くらまし屋稼業』

著者
今村翔吾 [著]
出版社
角川春樹事務所
ISBN
9784758442183
発売日
2018/12/13
価格
704円(税込)

『童の神』で第160回直木賞候補! 時代小説界の若きエースによる、全方位向けエンターテインメント!!

[レビュアー] 大矢博子(書評家)

 何かから逃げたい人、行きたいところがあるのに今の場所を離れられない人……そんな「行方をくらませたい人」と取引をして見事「くらませて」やる闇の業者がいる。

 それが「くらまし屋」だ。

 デビュー作『火喰鳥』(祥伝社文庫)に始まる〈羽州ぼろ鳶組〉シリーズが大ヒット、さらには平安時代を舞台にした歴史伝奇小説『童の神』(角川春樹事務所)で第十回角川春樹小説賞を受賞、昨年十月に発売されるやいなや、年間ベスト級との声が引きも切らない。デビューからわずか二年足らずで「何を書いても面白い」という絶大な信頼を勝ち取った今村翔吾が繰り出した二の矢が、この「くらまし屋」の物語である。

 これがまた、抜群に面白い。

 ごく簡単に言ってしまえば夜逃げ屋なのだが、何重もの楽しみ方ができるよう工夫されているのである。

 まず、「くらまし屋」のチームとしての魅力。表の顔は飴細工屋、その正体は元武家の剣豪という堤平九郎を中心に、変装と声色の名人にしてうっとりするほど美形の赤也、チームの頭脳・参謀を務める二十歳の女性、七瀬。性格も年齢も、まだはっきりとは書かれていないがおそらくは出自も来し方も異なる三人がそれぞれ突出した技能を持ち、役割分担とチームワークで事にあたる様は、まるで戦隊ヒーローもののようだ。

 次に、客を「くらませる」方法が知的ゲームの楽しさ満点。第一巻『くらまし屋稼業』ではヤクザから足を洗いたい二人をくらませる。追っ手は二人の潜伏する宿の周辺に大勢の見張りを配置した上で、道中奉行などに賄賂を贈って街道の宿場町でも目を光らせた。これをどう突破するか、という頭脳戦が見どころ。第二巻では蔵に閉じ込められた女の子を助け出すのだが、頑丈な蔵に厳重な鍵、用心棒の見張りという中で彼らがとった手段には唸ること請け合い。

 さらに、剣豪小説としての面白さがあるのも本シリーズの特徴だ。剣を振るうのは平九郎だが、剣豪小説につきものの流派だとか必殺剣だとかがどんどん出てくる。というと、たとえば眠狂四郎の円月殺法や柳生新陰流なんてのを想像されるだろうが、平九郎は毎回違う流派や剣術で戦うのだ。え、どうやって? それは読んでのお楽しみ。こんなことを考えた時代小説家はかつていなかったと思うぞ。もちろん剣戟場面は迫力満点。

 ライバルについても触れておこう。「くらまし屋」が戦うのは、依頼者を逃すまいとする人々だけではない。消えた人や悪事を炙り出す「炙り屋」という闇の稼業や、狂気の青年剣士や拷問のプロを擁して何やら大掛かりな悪事を進めているらしい「虚」という組織などが、「くらまし屋」稼業と絡んでくる。

 そしてもうひとり、忘れてはいけないのが道中同心の篠崎瀬兵衛だ。保身のため昼行灯の振りをしているが実はもともと凄腕の役人。彼だけが平九郎たちを怪しみ、どうやら今後、迫ってきそうな気配なのである。「炙り屋」「虚」が闇稼業なのに対し、瀬兵衛は表社会からの追跡者と言っていい。

 つまりは、頭脳戦あり剣戟あり因縁のライバルあり追う者ありの、めちゃくちゃエキサイティングなエンターテインメントなのである。

 これだけでも充分贅沢なのに、今村翔吾の筆はそこで止まらない。なぜ平九郎が「くらまし屋」などという稼業をやっているのか。どうやらそこには自らの家族に絡む、重大な過去があるらしいのだが、それが一巻ずつ小出しにされるのである。ああもう、焦れったい! 物語そのものは一話完結なのに、平九郎の過去が気になって、さらにライバルたちとの関係も次巻に持ち越されるため、一巻読んだらすぐに次が読みたくなる。

 何よりこれらは、行方をくらませたい、逃げたい、と考える依頼者たちの物語であることを忘れてはならない。ヤクザから足を洗おうとした二人のドラマ、土蔵に閉じ込められる羽目になった少女のドラマ。そこには、江戸で生きる庶民の姿が浮かび上がる。

 そして最新刊となる第三巻『夏の戻り船』で「くらまし屋」に依頼するのは、米寿を迎えて余命いくばくもない本草家(薬学を中心とした博物学の専門家)・阿部将翁だ。彼は死ぬ前にどうしても行きたいところがあった。ところがおりしも江戸では本草家が勾引かされる事件が頻発。毒の知識もある本草家誘拐事件を重く見た幕府は、阿部将翁を秘密の薬園に軟禁することで勾引かしを防ごうとする。「くらまし屋」は、役人が周囲を固めた隠し薬園から病身の阿部将翁を逃すことができるのか?

 思わず座り直したのは、阿部将翁の登場である。実在の本草学者だ。しかも山本周五郎『赤ひげ診療譚』のモデルにもなった医者・小川笙船まで登場している。これまでも〈羽州ぼろ鳶組〉に長谷川平蔵や山路連貝軒など実在の人物を出してきた著者なので、そのこと自体は驚かないのだが、ポイントは物語の舞台が宝暦三年ということ。宝暦三年に阿部将翁を出す、しかも年初めに、皐月の十五日に陸奥に着きたいと彼に言わせる。え、でもそれって……。

 もちろん前知識なしでも本書を楽しむのに何の問題もないが、もし興味があれば、阿部将翁についてウィキペディアでいいので確認してみてほしい。私が何に戸惑ったかお判りいただけると思う。そして本書では阿部将翁についての「史実」と「逸話」が、実にアクロバティックに、そしてドラマティックに物語に取り入れられているのだ。うわあ、そう来たかあ!

 幕府に軟禁された阿部将翁を狙うのは「くらまし屋」だけではない。さまざまな組織のさまざまな思惑が絡み合い、そのすべてが彼の潜伏する隠し薬園へ集結する。クライマックスの剣戟は圧巻だし、「くらまし屋」の変装と策略は今回も冴えているし、ここに来て篠崎瀬兵衛が俄然クローズアップされて彼のドラマも始まりそうだし、前巻からレギュラー入りしたお春は可愛いし……と、ここまで書いてすでに与えられた紙幅をオーバーしていることに気がついた。だがまだ書き足りない。ぜんぜん書き足りない。ページ増やせますか? ダメですかそうですか。

 つまりこれだけのページ数ではとても語りきれないほどの魅力がこのシリーズには、そして第三巻には詰まっているのだ。剣戟好き、人情小説好き、チーム戦好き、ミステリ好きなどなど、あらゆる趣味の読者を満足させる全方位向けエンターテインメント、それが〈くらまし屋稼業〉なのである。

 あ、これだけは言っておこう。〈羽州ぼろ鳶組〉ファンには嬉しい記述が本書の終盤に出て来るぞ、見逃すな!

角川春樹事務所 ランティエ
2019年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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