『エリザベスの友達』
書籍情報:版元ドットコム
認知症の老女の意識に甦る自由で幸福な天津租界の記憶
[レビュアー] 武田将明(東京大学准教授・評論家)
九十七歳の天野初音は、ふたりの娘の世話を受けながら介護付き老人ホームに暮らしている。認知症の進行する初音の意識には、過去の様々な記憶が現実と混同されて現れる。終戦後に中国から引き揚げた際の暗い記憶がフラッシュバックすることもあるが、もっぱら彼女の意識にのぼるのは、第二次大戦直前の天津における幸福な日々である。
各国の租界を抱える天津では、「イギリス人とフランス人と日本人が、自由にどこにでも出入り」でき、日本の女性たちはイングリッシュネームを付けあい、洋風の生活を満喫していた。なお、表題にある「エリザベス」とは、やはり天津の日本租界に匿われていた清朝最後の皇帝の妃、婉容(えんよう)のイングリッシュネームである。
作中にあるとおり、婉容はやがて悲劇的な死を遂げるが、初音の味わった自由も束の間の蜃気楼のごときものにすぎない。そもそも老女の脳内に浮かぶ美しい過去が、どこまで真実かも分からない。しかしここで興味深いのは、認知症に冒された老人たちの回帰する世界が、実に多国籍で、想像力に溢れている点だ。
地元のコーラスがホームに来て、朝鮮半島の民謡や旧満州の曲を歌うと、何事にも無反応な老人たちが突然活気づき、フランスの軍歌が流れると、自分の名前も忘れてしまった元大学教授が原語で熱唱しはじめる。また、夢想のなかで、かつて軍に提供した農耕馬と懐かしく言葉を交わす老女もいれば、自分を神功(じんぐう)皇后と同一視しているらしい老女もいる。
認知症とは、長年自分を縛っていたものから解放され、多様な世界へ流れ出すことかもしれない。人生の終着点に、自我の本質を見いだすのではなく、自己の多層性へと目覚めること。本作は、あえて認知症の老人の意識に寄り添うことで、私たちの自己や国家、歴史への見方がいかに硬直しているかを示唆するだけでなく、生の意義についても考え直させる。夢を通じて現実へと目を開かせる稀有な書物である。