「母」として「妻」としての“当たり前”を疑うミステリ

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  • 文庫 坂の途中の家
  • だから荒野
  • 朝が来る

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「母」として「妻」としての“当たり前”を疑うミステリ

[レビュアー] 若林踏(書評家)

 母親としての役割、妻としての役目。この言葉の背後にある暴力性を、角田光代『坂の途中の家』は浮き彫りにする。

 専業主婦の山咲里沙子は、都内で起きた乳幼児の虐待死を巡る裁判において、補充裁判員に選ばれる。被告の安藤水穂は八か月になる長女を浴槽に落とし、溺死させた殺人罪の疑いで逮捕されたのだ。被告とよく似た立場の自分に、公平な判断ができるのか。里沙子は不安を抱きながら、二歳の娘を義母に預けて裁判所に通うことになる。

 裁判の過程を描いた法廷ミステリだが、焦点は事件の顛末よりも、裁判員として参加する里沙子の心理に徹底して合せられている。水穂の境遇を自分に重ねる里沙子は、やがて家の中で起こるあらゆる出来事に疑惑の目を向けていく。娘との関係、夫との関係。それまで見ていた家族の光景が、全く別の姿で目に映るのだ。

 里沙子を通じて読者が気付くのは、性役割の押しつけが余りにも無自覚に、かつ一方的に行われることへの問いかけである。家族から放たれる何気ない言葉がいかに女性を苦しめるのか。妻であること、母親であることの「当たり前」を、本書は鋭く抉る。

 もし母親が家族という呪縛から逃れることができたら。桐野夏生『だから荒野』(文春文庫)は自分勝手な家族から逃げ出し、自分を見つめ直す旅に出た主婦・朋美を描くロードノベルだ。四十六歳の誕生日に、夫の愛車で家族からひたすら遠ざかる朋美が清々しい。それに比して残された夫、息子の何と駄目なことよ。滑稽さを時折纏(まと)いながら、本書は家族のかたちを真摯に問い直してみせる。

「母親らしさ」「母性の有無」とは、そもそも誰かが線引きできるものなのか。そうした疑問を投げかけるのが、辻村深月『朝が来る』(文春文庫)である。特別養子縁組制度により子供を迎えた夫婦にかかってきた、「子どもを、返してほしいんです」という不穏な電話。ここから始まるサスペンスフルな展開に飲まれつつ、読者は親子の結びつきにおける「当たり前」を見つめ直すことになるのだ。

新潮社 週刊新潮
2019年1月17日迎春増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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