維新期、盛岡藩の知られざる傑物 「楢山佐渡」の生きざまを描く
[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)
本書の半ばで、京に赴いた盛岡藩家老・楢山佐渡が、西郷吉之助や桂小五郎改め木戸貫治と次々に面談する場面がある。
西郷は「百姓は明日食う米、遠くを見据えたとしても来年播(ま)く種籾(たねもみ)を求めて一揆を起こしますが、我らは日本の当来を見ております」「地面を均(なら)さなければ家は建ちませぬ」という。
また木戸は佐渡の「民百姓はどうなります?」という問いに「うーん」「そこまで手は回らない。新しい国の骨組みを作るだけで精一杯だ。民百姓のことはとりあえず今まで通り。新しい国が落ち着いたら少しずつ考える」と答える。
佐渡は、深い徒労感をおぼえずにはいられない。薩長が幕府を倒したとしても、結局、民百姓のことは後回し。ただただ搾取が続くのみではないか。
佐渡が、なぜ、そのことをこれほど憂えるのかといえば、盛岡藩では、百姓たちが貧困と重税に喘ぎ、一揆を起こすこともしばしば。そして藩はいったんは百姓の要求を飲むものの、いとも簡単にそれを反故にしてきた歴史がある。
そこに共存の道を見出してきたのは、佐渡らの努力によるものであるからだ。
平谷美樹は、岩手の生まれで、本書は、地元では爆発的な売れ行きを示し、たちまちのうちに版を重ねたと聞く。しかし、私は、作者が故郷の傑物を書きたい(これまで楢山佐渡を描いた長篇はなかったといっていい)という狭い視座で作品を書いたとは思えない。なぜなら本書には、歴史小説が抱える永遠の命題、すなわち、庶民にとって暮らしやすい時代はあったのか、という問いを具現化する存在として、極めて客観的な立場から佐渡が主人公に選ばれているからだ。
さらに小説としての完成度も比類がなく、ラストに向けて私は号泣が止まらなかった。新年の読書はじめにぜひ――。