【文庫双六】スリリングな心理戦に魅了される麻雀小説――北上次郎

レビュー

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麻雀放浪記 1(青春篇)

『麻雀放浪記 1(青春篇)』

著者
阿佐田, 哲也, 1929-1989
出版社
文藝春秋
ISBN
9784167323042
価格
691円(税込)

書籍情報:openBD

スリリングな心理戦に魅了される麻雀小説

[レビュアー] 北上次郎(文芸評論家)

【前回の文庫双六】犀星も移り住んだ濃密な共同体“文士村”――梯久美子
https://www.bookbang.jp/review/article/562483

 ***

 馬込の文士たちの間では麻雀が流行っていたようだが、こういう話を聞くと麻雀小説を無性に読みたくなってくる。ならば阿佐田哲也だ。私の好きな「シュウシャインの周坊」を紹介したいところだが、この短編を収録した『阿佐田哲也 麻雀小説自選集』が入手しにくいようなので、ここは代表作の『麻雀放浪記』にしておく。代表作であるから当然なのだが、ここに阿佐田哲也のすべてがある。

 たとえば、主人公の坊や哲が戦う相手を作者がどう描きだすか、それをまず見ていただきたい。坊や哲はフリー雀荘に飛び込んで見知らぬ相手と戦うわけだから、最初は相手の名前も知らないことが少なくない。つまり、戦う相手は記号にすぎない。

 きっかけはいつも異様な捨て牌である。なぜあんな牌を捨てたのだろう。捨て牌に注目した坊や哲は顔を上げて相手を見る。ここで初めて戦う相手は記号であることをやめ、意味を持って立ち上がってくる。捨て牌には必ず意図がある。ではこの男の意図は何なのか。卓上の戦いに勝つために坊や哲の頭脳は凄い勢いで回転し続けていく。

 阿佐田哲也の麻雀小説にはこういうシーンが頻出する。つまり人の心理を読むことがいちばん面白くスリリングである、ということだ。それを教えてくれたのが阿佐田哲也だった。唯一の競馬小説『厩舎情報』が無残な失敗作であったのは、競馬というものが敵の心理を読むという彼の方法論がまったく生かされない場であったからだろう。手本引きを描いた『ドサ健ばくち地獄』において、阿佐田哲也のその美点が全開になるのも同じ道筋で理解される。手本引きは麻雀よりももっと心理戦が剥き出しになる種目だからだ。

 人の心理を読むことがもっとも面白くスリリングである―これを警察小説に持ち込んで斬新な物語を作ったのが横山秀夫なのだが(たとえば『第三の時効』を見られたい)、それはまた別の話である。

新潮社 週刊新潮
2019年1月24日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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